m定した。その肯定のしかたも伸子流に単純で、しかし具体的であった。工場、労働者クラブ、産院、託児所、子供の家、学校、劇場、映画製作所、ソヴェトの運営などと、見学しつづけた伸子は、労働者男女が互にわけあっている社会保障の現実を社会主義の社会というもののよさとして、うけいれずにはいられなかった。伸子は、そういう現象から逆に帰納して、社会主義の計画生産の意義をうけいれているのだった。
一九二七年の十二月に初雪のふるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へついたときから、十数ヵ月の間、伸子はいたるところに――首府であるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]市内ばかりでなく、石油のバクー市でも、石炭のドン・バス地区でも――そこに工業化《インダストリザーチヤ》、電化《エリクトリザーチヤ》というスローガンがかかげられてあるのを見つづけた。農村の集団化《コレクティヴィザーチヤ》とともに。伸子のあいまいな知識に「五ヵ年計画《ピャチレートカ》」は、それらのスローガンの延長のようにも映った。或は、いくつかの連続したスローガンが順次にかたまって、その一点へ来て強い光りを放ち出した、という風にもうけとれていたのだった。
茶色に古びたパリの大きい部屋の隅に漂着したふる船の中から小柄な上半身をおきあがらせているようなどことなくユーモアのある姿で、野沢義二は蜂谷良作と話している。
「僕なんかにでも、今のような国際経済の事情になってみると、五ヵ年計画の意味ってものが、いくらかのみこめて来るようだな」
頭に黒いキャップをかぶって部屋着をきた野沢の話しかたは、せき立たない考えの展開にしたがって、言葉を一つ一つ、それぞれの場所に置いてゆくような静かな的確さがあった。彼の日頃からのそうした話しぶりに伸子は野沢の天質の特色を感じているのだった。野沢義二の専門は哲学であったが、彼は詩作もした。フランスの有名な反戦作家のルネ・マルチネの家の私的な団欒《だんらん》に伸子をつれて行ったのも野沢であった。
「ソヴェトが、こんどの五ヵ年計画をほんとに実現できれば、たしかに大した仕事だな。――おそらく、やるんだろう」
蜂谷良作は、チューブからねっとりした何かが押し出されて出て来るような風に話した。
「しかし、大体、世界じゅうが第一次大戦後は計画経済の方向に向ってはいるんだがね――資本主義を何とか救おうと
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