面してたっていた。約束の木曜日に、伸子はその正面玄関の黒くよごれた鉄唐草の車よせの下から入って行った。もとはとなりのボリシャーヤ・モスコウスカヤのように派手な外国人向ホテルだったものが、革命後は、伸子の知らないソヴェトの機関に属す一定の人々のための住居になっている模様だった。受付に、クラウデの書いてよこした室番号を通じたら、そこへは、建物の横をまわって裏階段から入るようになっていた。伸子は、やっとその説明をききわけて、大きい建物の外廓についてまわった。
積った雪の中にドラム罐がころがっているのがぼんやり見える内庭に向って、暗い階段が口を見せていた。あたりは荒れて、階段は陰気だった。冬の午後三時と云えば、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の街々にもう灯がついているのに、ホテルの裏階段や内庭には、灯らしい灯もなかった。伸子は、用心ぶかくその暗い階段を三階まで辿りついた。そこで、踊り場に向ってしまっている重い防寒扉を押して入ると、そこは廊下で、はじめて普通の明るさと、人の住んでいる生気が感じられた。でも、どのドアもぴったりとしまっていて、あたりに人気はない。伸子は、ずっと奥まで歩いて行って、目ざす番号のドアのベルを押した。靴の音が近づいて来て、ドアについている戸じまりの鎖をはずす音がした。ドアをあけたのはクラウデであった。
「こんにちは――」
「おお、サッサさん! さあ、どうぞおはいり下さい」
そういうクラウデの言葉づかいはいんぎんだけれども、上着をぬいで、カラーをはだけたワイシャツの上へ喫煙服をひっかけたままであった。クラウデは日本の習慣を知っている。日本の習慣のなかで女がどう扱われているかということを知りぬいている外国人であるだけ、伸子はいやな気がして、
「早く来すぎたでしょうか」
ドアのところへ立ったまま少し意地わるに云った。
「たいへんおいそがしそうですけれど……」
「ああ、失礼いたしました。書きものをしていまして……」
クラウデは、腕時計を見た。
「お約束の時間です――どうぞ」
伸子を、窓よりの椅子に案内して自分は、二つのベッドが並んでおかれている奥の方へゆき、そっちで、カラーをちゃんとし上衣を着て、戻って来た。
「よくおいで下さいました。いまじき、もう一人のお客様も見えるでしょう」
クラウデの住んでいるその室というのは奇妙な室だった。大き
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