竄チてゆけないのよ」
「――そうか!」
バッキンガム宮殿のまわりを、機械人形のように巡邏《じゅんら》している華やかな服装の若い近衛兵《ローヤル・ガイド》が、そのとき伸子のすぐわきで、まじめな顔つきで規則正しいまわれ右をした。
伸子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる素子へのたよりに、利根亮輔と話すいろいろのことを書いてやった。バッキンガムのまわりを歩いたことも。しかし、その散歩のとき短くかわされて、二人の間柄を決定した会話についてはふれなかった。
今夜かあした、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ書く手紙のなかで、伸子は、「モンソー・エ・トカヴィユ」の七階へたずねて来た蜂谷良作と出かけて、モンソー公園に、こんなにゆっくりしていることについて、どう書くだろう。
秋の公園の日だまりのなかで、伸子はそんなことについて、考えてはいてもちっとも心を煩わされていなかった。伸子は、いまというひとときのもっている条件のすべてをひっくるめて、楽にくつろいだ会話や戸外の空気の快よさを感じているだけだった。
そろそろまた歩きはじめようとして蜂谷良作はベンチの上から帽子をとりあげた。
「いずれにしても、佐々さんは生活的だなあ。この間の晩、はじめてゆっくり話してみて、僕が一番感じたのはそこだった。――吉見君は、あれで、よっぽどちがうでしょう? あなたとは――」
伸子は、蜂谷との間で、そこにいない素子をそういう風に話すのはこのまなかった。
「あのひとは、わたしよりずっとものを知っています、あれだけ、ロシア語がちゃんとしているんだもの」
素子がよくものを知っていながら、その知っているところまで自分の生活そのものを追い立ててゆかないことも、いま蜂谷に説明する必要はない素子の一つの特徴だった。
伸子と蜂谷良作とは、公園の奥にある池のところから小道づたいに、来た方とは反対の道を出口に向った。
「こんどこそ、わたし、本気でパリを歩いてみなくちゃ」
「そう急ぐわけでもないんでしょう」
「親たちが帰れば、わたしはすぐモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へもどります。だから――そうね、ひと月はあるでしょうね」
「そんなにさしせまっているのか」
蜂谷は思いがけなさそうだった。
二人は、モンソー公園の前にある広場めいたところのカフェーで休んだ。夕方になった
前へ
次へ
全873ページ中568ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング