ニ思うのだった。
伸子は、パリへついて二日目に「モンソー・エ・トカヴィユ」に寝るためと勉強のための室をとり、その次の日、クリシーの先のアトリエに住んでいる画家の風間夫妻を訪ねて、フランス語の女教師を紹介してもらった。泰造たちとマルセーユまで同じ船にのり合わせて来た風間夫妻が、便利なフランス語の出教授をうけているそうだと泰造からきいたのだった。
はじめてマダム・ラゴンデールというその女教師が来て、一週二回の授業のうち合わせをしてかえったあと、伸子はしばらくぼんやりして、勉強室であるその屋根裏部屋のディヴァン・ベッドに腰かけていた。質素な身なりだけれども、どこともしれずあかぬけしていて、生活のためにたたかっているパリの、中年をこした女の柔かい鋭さをたたえているマダム・ラゴンデール。彼女が、大使館関係の夫人たちも教えているということや、英語を話すことなどを、伸子は会ってはじめて知った。自分の知っている日本婦人は、みんな実に親切な人たちばかりだと力をこめて云うマダム・ラゴンデール。伸子が、新聞をよめるようになりたいと云ったら、日本の植民地政策は成功しているのに、フランスはモロッコでもアルジェリーでも失敗つづきだ、と云ったマダム・ラゴンデール。彼女と、果して、稽古がつづけて行けるだろうか。
考えこみながら、伸子が目をやっている室の露台窓からは、せまい裏通りのむこう側の建物のてっぺんにある室内が見えていた。ホテルからの目をさけるために、あっちの露台では木箱をおいて日よけをかねて、青いつる草を窓の軒まで這い上らせてあった。その窓奥で、女の姿がちらついている。花模様の部屋着のままで、掃除でもしているかと思うとそうでもないらしく、こっちの室の内から見ている伸子の視野のうちに暫く見えなくなったり思いがけず近いところに半身をあらわしたりして、音もなく動いている。
見られていることに心づかないで動いている人の動作には、パリという大都会のなかにある孤独のようなものが感じられる。
伸子は立ち上って、部屋の一隅についている粗末な洗面台で手を洗いはじめた。ペレールへ帰ろうと思って。――
ノックの音がする。伸子は、それをとなりのドアだろうと思った。ここへ人の訪ねて来ることを予想していなかった。手を洗いつづけて水道の栓をしめたとき、それを待っていたように、こんどははっきり自分の室のドアの上
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