ト、樹の下の、馴れっこになっている演説者に対して関心はうすいようだった。
 広大な地域をしめているハイド・パークの大衆的なこうした風景と、身なりのきれいな人々のとりすまして、散策しているケンシントン・ガーデンのあたりとは、同じ日曜日の午後でも別天地だった。
 泰造も、ロンドンへ来てからは、建築家として実務的ないそがしい日を送っていた。日本へ帰ればすぐとりかからなければならない大規模な大学校舎と病院建築の予定があった。イギリスの王立美術院の名誉会員である便宜を利用して泰造は、時にはノッティンガムまで出かけて大学や病院の視察に歩いていた。
 和一郎夫婦をミセス・ステッソンのところへ落つけた今は、多計代も心に軽やかなところができたらしくて、ケンシントン・ガーデンの芝生の上で集って来る雀にパン屑をなげてやりながら、ゆっくり茶の時間をすごしたり、つや子をつれてテート画廊を見に出かけたりしていた。大使館関係の夫人たちを訪問したりもしている。ロンドンでは、言葉がわかるということが、泰造をくつろがせ、多計代の神経をも楽にした。しかし一行のなかでつや子の立場が宙ぶらりんなことは、パリにいたときとちっともかわらなかった。ロンドンのホテルでも、つや子の寝台は夫婦の寝室にもちこまれていた。イギリスのいわゆるちゃんとした[#「ちゃんとした」に傍点]家庭のしきたりからみれば、つや子ぐらいの少女に家庭教師をつれずに旅行している佐々の一家は、いわば泊っているホテルの格にあわないとも云えるものだった。泰造や多計代は、そういうことに頓着していなかった。
 伸子は或る晩八時すぎてから、つや子をつれて、トラファルガー広場から出発するトマス・クックの東区《イースト・エンド》見物バスにのりこんだ。トマス・クックはロンドンの観光ルートを独占していて、大戦まではロンドン市の恥とされていた東区の貧窮の夜の光景までを、夜のロンドン見物に変化を与えるスリルの一つとしてさし加えた。黄色と藍の塗料のきれいな大型バスは、車内に電燈をきらめかせながらテームズ河の河底を貫く長い淋しいトンネルをぬけて、追剥《おいはぎ》の出そうなロンドン・ドック附近を通り、ホワイト・チャペルの周辺の曲りくねった道へはいって行った。バスの行く道すじは、ジャック・ロンドンが「奈落の人々」の中に辿った道順とほとんどちがわなかった。止まったバスのまわりに集
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