ヨ来て、いまミセス・レイマンとその息子が住んでいるところをしらべると、泰造がいたころからほぼ四分の一世紀をすぎたイギリス社会の推移は、このつましい一家の生計を、泰造が下宿していた時分とはくらべものにならず落魄させていることがわかった。変らないのは、ミセス・レイマンがGペンを風雅につかって書く手紙の文字と、彼女の温い親切な生れつきだけだった。ミセス・レイマンは、礼儀にかなった服装がなくて失礼だからと泰造夫婦の晩餐の招待をことわってよこした。若い和一郎夫婦が、「彼らの前途多幸《プロスペラス》な未来」のために、イギリス生活を学ぶ目的のためには、残念なことにわたしの家庭はふさわしい環境でありません。大戦後、わたしたちの生活は、もう二度ともとに戻ることの不可能な変化をうけました。イギリスの多くの中流階級の人々のように。風雅な書体のレイマン夫人の手紙は、そういう風な現実を告げていた。
 ミセス・ステッソンが、下宿人をおきはじめたのも大戦後のことだった。ローラとよばれる二十六七の娘は、チャーリング・クロスの近くで友達と服飾店を経営していた。
 ミセス・レイマンの手紙にある和一郎夫婦の「前途多幸《プロスペラス》な未来」という文句を、伸子は、言葉に出して誰にいうこともできない懐疑をもって見つめた。ミセス・レイマンにとって懐古的な思いをそそるばかりのプロスペラスという言葉、戦後、ひとしお激しい資本主義経済の波に追いまくられて、ロンドン市内の生活を支えきれず、郊外の一隅へなげだされたささやかな中流の一家。あからさまに言ってしまえば、伸子は、和一郎の代になってからの佐々の家の未来に、ミセス・レイマンが経た生活の推移と大差ない過程を予感しているのだった。
 泰造と多計代とはミセス・レイマンとその息子のジャック・レイマンを、少し改まった午後の茶に招いた。七十歳ちかい母親であるミセス・レイマンと三十歳になったばかりというジャックの上に、大戦を境とするロンドンの中流人の経済的な世代のちがいが、あんまりくっきり描き出されていて、伸子は苦しいようだった。ミセス・レイマンはその老年にかかわらず、レースの訪問着はややつかれているにかかわらず、いくらか頬の艷があせているだけで、イギリス婦人らしいしっかりとした骨格と血色を失っていなかった。眼づかいや身ごなしに清潔な気品がのこっていた。
 ジャックはおそらく実
前へ 次へ
全873ページ中544ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング