ワうことには疑問をもっている。蜂谷の、中共革命についての考えかたは、そういうものだった。蜂谷良作の意見をもう一つつきつめてはっきり云えば、中共の運動は要するに中国の大衆の生活に根をおろしていない一部のウルトラどものまきおこしている騒動にすぎない、ということになるのだろうか。二月の上海のジェネストや臨時革命委員会の成立はコミンタン(国際共産党)の革命あそびにすぎないというのだろうか。そう質問したひとがあった。
 そのとき、蜂谷良作の、ぼってりして子供っぽいようなところのある顔の上に、濃い動揺の色があらわれた。蜂谷良作はしばらく伏目になってテーブルの上にある鉛筆をいじっていたが、やがて頭をもたげて、中国には特別な事情があることも認めなければならない、と答えた。近代に入ってから列強の半植民地になっている中国としては、民族自立の要求が強烈なのは当然であって、中共の運動はその点で、独特な足場をもっているとも云える、と。
 たまに無産者新聞を見ることがあるぐらいだったそのころの伸子には、蜂谷良作の理論について判断ができなかった。彼の教授らしい質問への答えかたと、そこに感じとられた性格的なものが印象づよかった。蜂谷は、自身としてそのどちらにも加担しないまま、蒋介石も中共も、それぞれのものとして認めようとする態度でいる。蜂谷良作の表情を見ると、そのどっちつかずの曖昧さも、用心ぶかさや狡猾さから出ているというよりも、彼として、ほんとにそうとしか考えられないありのままを、云っていることが感じられたのだった。
 それから足かけ三年がたった。きょうパリでピスカトールの舞台を見ながら伸子にその意味をきかれ、はっきり答えられなくて素子につっこまれた蜂谷良作の困ったような顔つきは、パリでの一年半の生活が、蜂谷良作をより器用な人物に変化させていないことを告げた。教授という肩書のない現在の蜂谷は、かえって元より精神の柔かい部分――未完成なところをむき出しているようでもある。それが、伸子にも素子にも、蜂谷の気やすさとして、感じられているのだった。
 十一時半ごろ芝居がはねた。三人は、うすら淋しい場末の夜の、アヴェニュー・ジャン・ジョレスから賑やかなサン・ミシェルの大通りまで戻って来て、とあるカフェーのテラスで休んだ。
 ベルリンで見た「三文オペラ」の舞台と比較して、素子がしきりにピスカトールの芝居の批
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