「良人がいる。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の四季のなかに、何と大量に人間の可能性が燃焼していることだろう。そして、あすこには、そのような新しい社会からしか生れない新しい人間感情が存在しているのだ。
去年のメーデーの前、日本の共産党の人々が検挙されたとき、泰造はその新聞記事を赤インクのカギをかけてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる伸子のところへ送ってよこしたことがあった。その伸子はいまパリにいてペレールのアパルトマンへ日に一度は顔を出し、親たちや弟妹とブーローニュの森の散歩だの、ルナ・パークでの他愛ない遊びにつれだったりしているから、もう東支鉄道問題がどうであろうと、泰造にとってそれは外国でよむ一つの新聞記事にしかすぎないのだろうか。
赤インクのカギがいくらか荒っぽくかけられた新聞をモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で見たとき、伸子は苦しかった。そういうものを送られたことについて、忘れがたい印象をうけた。パリでの暮しで、泰造がパリというところにはきびしい人間の思想がないように、自由に成長しようとする人々の苦しくまじめな階級のたたかいがないように、安気そうなのは、またそれとして伸子の関心をひくことだった。
七月二十三日の夜あけがた、パリの警視総監は、パリの市内のあちこちで、手あたり次第に多数の共産党員を逮捕させた。東支鉄道問題以来、ファシズムに反対、ソヴェトを侵略からまもれ、という声は労働者ばかりでなくひろい知識人の層からもおこっていた。八月一日の反戦デーの準備は大規模に精力的にすすめられているらしかった。七月二十三日の明けがたの急襲は、その妨害だった。
その日の午ごろ、例によって伸子がペレールの家へあらわれると、多計代は、
「きょうは、明けがたに妙なことがあったよ。伸ちゃんの方はどうだったい」
ときいた。伸子はヴォージラールのホテルの七階で、何にも知らなかった。目をさまされるような特別のことは何もなかった。
「どうしたんだろう」
多計代は、自分の記憶が夢の中のことでないのをたしかめるような眼つきで、
「あけがた、外を何度にも、騎馬で通ったものがあるんだよ。ふっと眼がさめたら、かなりどっさりの蹄の音がしているじゃないか。おや何だろうと思って耳をすましていたら、つづけて、あれでどの位通ったんだろう。大分の数だったよ。わた
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