からのり出し、
「問題はその所謂《いわゆる》芸術的価値にあると思うね。我々はいろんな尤なことをきかされてなるほどそういうものかと思うが、岩見重太郎が結構面白くよめる。――どうも俺にはよく分らん」
誇張した表現で山原は短くかりこんでいる頭をパリパリ掻きながら、
「おい、どうだ佐藤」
傍の重吉をかえりみた。
光井が重吉の方を眺めると、重吉は腕ぐみをしてやはり深く椅子の奥へもたれこんだなり、確《しっ》かりした顔を知力的に輝やかしているが格別山原の方を見ようともしていない。それでよし、という色が光井の眼の裡にあった。今中がちょっと顔を横にそらすようにしてゆっくりバットの烟をふき終ると、それとなく山原への軽蔑を口辺に示しながら、
「とにかく、少くともここにいる者はデイリー・ウォーカアスへの投書に対して下したプラウダの批評を理解していることは自明だと思うんだ。そうすれば、いかに大衆化されているかというより先に、何が大衆化されているかということが検討されるべきじゃないですか」
一般の事情は二八年三月十五日の後をうけて、謂わば上からの拡大統一の時代であった。それはおのずから文学論にも影を投じているのであった。
「そうだよ。だから何を、というところから評価や形式の問題も当然出るんだ」
ルナチャルスキーもはっきり云っているじゃないですか、そういう云いかたで、今中は盛んにバットの灰をテーブルの上へひろげた空箱のそとへこぼしつつ、黒い小さい眼を動かしつつ、一種体をゆするようにして論じた。脂がのって来ている今中の極めて細い手の指や体全体が神経的粘りをもって口と一緒に引しぼられたりひろがったりするように見えた。何処かシュー、シューという響をともなう彼の声は、一遍ぐっと押えたままその力をゆるめず上顎の方から限りなく対手に向ってのびて来るようで、はたから口を利くきっかけをつかませないところがあるのであった。
重吉は凝っと根気よく聴いていた。そして、非常に沢山いろいろの組合わせで言われているが、立ち入って詳細に見ると、様々の形で今日印刷されていることの範囲にとどまっているのを感じた。重吉の天性のうちに在る芸術的な或る感覚は、もっと身に引きそった事実として、例えば作者の思想と、作品が感性的なものとしてあらわれるべき形象化との相互関係、評価の問題にふくまれていて、而も十分とらえられていない自然現象と人間の実践との混同などに、極めて微妙な未発展の部分がふくまれていることを告げているのである。
重吉は、大木初之輔が、その月に或る文学雑誌に発表した論文をとりあげた。重吉の態度には、別に自分というものを一同の前に押し出そうとしていない青年の自信あるさっぱりした淡白さと同時に、論議そのものは飽くまでつきつめて行こうとする骨組みがあるのであった。
大木の論文を読んでいない者があったりして、重吉の提出した問題は、その席では二三補足的な意見を出されただけで終った。
先ず今中が立って、鳥打帽をかぶり、茶毛のジャケツの襟を立てて出て行った。編輯関係のものだけのこり、
「行くか?」
「ああ」
書類鞄をかかえた山原を加えて重吉、光井が一団となって再び狭っくるしい裏小路から往来へ出た。
夕方は雨になりそうであった空が夜にいってから冴えて、昼間の烈風ですっかり埃をどこかへ吹き払われてしまっている大学前の大通りは、いつもより一層広くからんとしたように見とおしが利いた。星が出ている。
暫く賑やかな方へ歩いて行ったとき、山原が、
「おい佐藤、少しひどいぞ」
と云った。
「現在の自分のおくれている部分の水準へ引下げて今日の歴史の到達点を云々するのは誤りである、なんて、正々堂々と満座の中でやられちゃ浮ばれない。――俺の岩見重太郎だって一つの戦術だよ。或は佐藤重吉に花をもたせるつもりだったかもしれないじゃないか」
重吉はかぶっているソフトの鍔《つば》を表情のある手頸の動かしかたで黙ってぐっと引下げたが、
「しかしああいう場所で云われる言葉は、それとしてやっぱり客観的な影響をもつものだからね」
と云った声の調子には、おだやかで説得的なあったかささえこもっていた。
「それに問題が問題だろう? 相当大事なんだと思うんだ。なかなか一朝一夕には解決しないことなんだろうなあ。或る意味で人間感情の本質的な進歩にかかってるものね」
山原は、
「ふむ」
と云ったが、話頭を一転して、
「どうも俺はあの連中は苦手だ」
大股に歩きながら、ぺっと地面に唾をした。
「結局中途はんぱな実行力のない奴等のすてどころということじゃないのか」
ずっと黙って重吉と山原の間にはさまって歩いていた光井が、
「そういうのは間違いだ」
ぽつんと、単刀直入に云ってあとはまた黙ってしまった。ひとくちに云えない感情がさっ
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