をすこしぶらついたが、じき自分だけ高い窓際に置かれている小さい椅子を見つけて、そこへ行ってかけた。
田沢は、瑛子がそこにかけたとき見守っていただけで、あとは瑛子を十分意識しながらそっちは見ず、時々は書類鞄を台の端において上着の前へそれをもたせかけるような姿勢をとり、本を手にとってあっちこっち頁をとばして目を通したりしている。
人数の割に、この店らしい落付いた、アカデミックな静かさとでもいうようなものが広いその場所を領している。瑛子はちょっと鏡をのぞいた。それから大きい窓ガラスを越して、向い側に見えるビルディングのどっさり並んだ窓々や、ずっと彼方の、何をしているのか彼女は知っていない彼女の娘とその二人の連《つれ》の上にも懸っている薄青い空。その中空に浮んでいるアド・バルーンなどを暫く眺めていた。それに飽きると、少し上体の位置をかえて、視野のなかにいつも田沢の横向きや斜向きの姿がつつまれるような工合に顔を向けた。
白い足袋の爪先を厚ぼったい草履ごと折々小さく動かしたりしてはいるが、それは瑛子の我知らずの癖で、彼女の大柄な体全体と顔とには、何とも云えずゆったりした、今の刻々の心地よさが照りかえしている趣があった。艶のある彼女の眼や紅がいくらか乾いてついている唇に、呼べばすぐ応えそうな柔軟さが溢れているのであった。
瑛子が椅子にかけている窓際は、大階段をのぼって来たすべての人が、さてという気持で先ず視線をあげるその真正面に当っていた。それだのに瑛子は、そこから誰が、いつ現れて来ても困ることはないという風な全くの公然さで、人目に立つ自分をそこに置いているのであった。
田沢が選び出したドイツ語の心理学の本の代を瑛子が支払った。片隅に小ぢんまりした茶をのませる席がある。二人は、棕梠の葉の陰になっている小卓を挾んで腰かけた。
田沢は、エアシップに火をつけて、さもうまそうに、きつく吸いこんで、ゆっくり烟をふき出した。
「疲れたでしょう?」
「そうでもない」
片手の指に煙草をはさんだなりコーヒーを一口すすって田沢は、
「――考えるとおかしいな」
と、すこし硬ばったような笑いかたをした。
「宏子さんがここへ入って来たらどうだろう」
瑛子はふっと顔をそらして、堅い声で、
「あのひとが来るはずなんかありゃしません」
嫌厭をあらわした眼付を田沢の顔の上へかえした。宏子がここで
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