路は一層せまくなってこの辺はしもたやが並んでいる。その一軒の木戸をあけて重吉が先に立ち、光井はその後につづいた。やっと体のとおるくらいの家のあわいをぬけるとそこにもう一側家の裏口がぼんやり町会の名を書いた街燈に照らされて並んでいる。黎明書房では単行本の出版をやったり、雑誌を出したりするようになってから、表通りの店とくっついた裏の三間ばかりの家をも共通につかいはじめた。裏では家族が主に寝おきしているのであった。
 靴をぬいでいると、
「や」
 紺と白との縞の襟に、店名を黄糸で縫った働き着の若者が、帳場の奥から立って来た。
「まだ見えてないようですよ」
 店からは陰になっている階段を、重吉はいつものとおり、いそがず肩をふる体つきでのぼって行った。途中で、重吉はうしろから来る光井に、
「お、ちょっと待て」
と云った。
「このスリッパ、変だよ、こわれてる」
 重吉は階段の中段で窮屈そうな恰好をしていたが、片方のこわれた方をぬいで手にもつと、あとは足早にのぼり切って、おどり場のところでペタンと床におとしたスリッパアに再び足をひっかけた。そこはまがいの洋室になっていた。外の廊下にも、ドアをあけて入った壁際にも、荒繩でくくったストック本が雑然とおいてある。籐の大分ひどくなった長椅子、曲木の椅子数脚などが大きい罅《ひび》われのある楕円形のテーブルをかこんで、置かれている。床にもテーブルの上にも、昼間じゅう東京を南から北へと吹きすさんだ大風で夥《おびただ》しく砂塵がたまっていた。どういうわけかひどく古風な、ふちが薄赤くうねうねした電燈のカサが漆喰天井から下っていて、照明が暗いというのでもないのに、その荒れた室内の光景は入って来た二人を黙りがちにした。
 重吉は、鼻の奥でクンクンというような音をさせながら目を瞬き、長椅子へ腰をおろした。光井は一つの籐椅子の背をひっぱって行って、重吉と向いあわせのところへかけ、バットに火をつけた。それから、くつろいだ心持の自然な順序で何心なくテーブルへ肱を置こうとして、光井は埃のひどさにびっくりした顔でそう悪気もない舌打ちをした。煙草の煙が眼に入るのを避けて誰でもやる妙に眉をしかめた風で、光井はそこらにあった新聞をまるめてテーブルの上を拭いた。一面の白っぽい砂塵がなくなった代りに、今度はジャリジャリした縞が出来た。
 重吉はふだんから煙草は吸わない。横顔
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