が、同志小林多喜二の業績を追慕しながらも、自分の属す階級の制約性によって同志小林の不撓の発展の本質を正しく評価し得ず、ある者は結果として反動におちいり、ある者は誤った文化主義を強調するに至ったのも、やむを得ないというべきであろう。
 ところが、わが「コップ」加盟の各団体およびその同盟員によって執筆、刊行された同志小林に関する諸文献を仔細にしらべて見ると、それらのあるものも、やはり同様な文化主義的傾向や右翼的逸脱への危険を示していることを発見する。(たとえば「コップ」東京地方協議会署名にかかる同志小林労農葬のビラ。『農民の旗』創刊号における同志小林の虐殺に対して示された曖昧な非階級的な態度。同志大宅、立野、貴司らによって執筆された同志小林の追想記中に現れた作家主義的な一面性など。)
 これらに対する批判的追補として『プロレタリア文化』三月特輯号に掲載された同志松山、坂井の論文は、前者は全文化運動の新らしい活動家のタイプ、指導的理論家としての同志小林の輝やかしい発展を跡づけることによって、後者は前衛[#「前衛」に傍点]作家同志小林の全貌を押し出すことによって、同志小林の業績から何を学ぶべき
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