うとした。「不在地主」「沼尻村」などは、農民の解放はプロレタリアートの闘争との結合なしには実現されないこと、社会ファシストの偽瞞と闘うことなしに農民の革命力は正しく発展し得ないことを示した。「工場細胞」「オルグ」は、大衆のうちにあって活動する前衛を日常闘争を通して描き、プロレタリアートの党の大衆化が試みられている。個々の作品を厳密に批判すれば、種々不足としてあげられる諸点はあるが、同志小林が、たゆまず倦まず、日本におけるプロレタリア運動のレーニン的発展過程に照応し、正しい革命的理論を創作活動のうちに生かそうとしつづけた高邁な努力は、プロレタリア作家の典型である。
同志小林こそ最もよく、「文学の仕事は組織的、計画的、統一的な」(レーニン)社会主義建設のための事業の一構成部分とならなければならないことを会得し、その実現のために献身したプロレタリア作家であった。文学におけるレーニン的党派性の貫徹を、真のボルシェヴィク作家にふさわしく熱情と世界観によって、実践した。
彼を知るものを常に驚歎させた同志小林の不断の創造的エネルギーの源泉は、実にプロレタリアートの革命的エネルギーそのものの中にあったのである。
かくの如き同志小林がその発展の過程において、プロレタリアートの前衛の組織の活動に参加したことは、極めて必然なことというべきである。同志小林は論文「文学の党派性の確立のために」において、自身いっている。「『弁証法的唯物論は党の世界観であり』、それは最高の観点であるから、(我々は絶えまない困難な勉強によってこの観点を獲得するのだが)社会の隅々までをも一番正しく見得る立場である」と。
宮島新三郎(『報知新聞』三月文芸時評)板垣鷹穂(『文学新聞』小林多喜二追悼号)などは、同志小林の殉難を惜しみつつ、同志小林がその活動を文学的活動の範囲に止め[#「文学的活動の範囲に止め」に傍点]ておかなかったことを遺憾とし(板垣)、または、今度のことにつけても作家同盟はよく考えて欲しい(宮島)と云っている。彼等は、ボルシェヴィク作家としての同志小林の発展の必然の道を理解し得ない。即ち、プロレタリアートの道を見出し得ず、かえって同志小林を虐殺した不倶戴天の敵の姿を大衆から覆うことによって、反動の役割を演じているのである。
同じく、発展の本質に対する誤った認識の上に立って、同志小林の創作活動は
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