は『報知新聞』の文芸時評で、同志小林のために哀悼し、彼の「急死」が「文壇全体の損失である」ことを認めつつ「何が小林氏の死を早めたか」と云い「私はこの点を十分作家同盟員に考えて貰いたいと思う」と述べている。宮島氏の口吻をもってすれば、同志小林を殺し[#「殺し」に×傍点]たものは、さながら作家同盟の方針であるかのようである。
 また、板垣鷹穂氏は、「遺憾に思うことはあれ程の作家を左翼運動に動員したと云うことです。芸術家には単に芸術の範囲内だけで活動させるというわけには行かないものでしょうか」と云っている。薫という筆名によって『都新聞』の文芸欄に「一生懸命のあまり、優秀な創作技術家としての成長をギセイにすることなど顧みる遑もなく(中略)イノチを縮めたのであろう」と書いている人もある。

 これ等の意見は皆、同志小林のプロレタリア作家としての価値を認めようとしながらも、プロレタリア作家の発展における階級的必然性というものを全く理解していないところから、遂に基本的な点において救いがたく誤りに陥っているのである。
 宮島、板垣氏等は、自身の属す階級の小市民的制約性に見解を狭められ、プロレタリア文学
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