はやってのけてしまったような感がある」そして同志から惜しまれるのも「作家としてよりは寧ろオルグとしてではなかったであろうか」と云っている。三月号『改造』にのった同志小林の小説「地区の人々」の読後、杉山氏はその作品を「下降的」なものと感じ、この感想を洩らしているのである。果して実際そうであろうか?
成程「地区の人々」は終りになればなるほど小説としての具象性を描写の上に失っている。明らかにそれは一つのマイナスである。けれども、この「地区の人々」という小説は同志小林が初めてボルシェヴィク作家らしい著実さ、人絹的艷のぬけた真の気宇の堂々さで主題の中に腰を据え書きはじめたことを印象させ、その点で感動を与える作品であった。同志小林が作家としても一段深い発展に立っていることを感じさせた。ブルジョア文学批評家の間には、同志小林の「蟹工船」を作家的発展の頂上とすることがはやっているが、「地区の人々」は当時まだつよくのこっていたブルジョア・リアリズムの煩瑣な影響から脱し、統一されたボルシェヴィキ的世界観によって輝き出す独特の簡明さ、確信――ブルジョア作家が「芸の力」によって我ものにしようと甲斐なくも焦慮する作品のこく[#「こく」に傍点]が、正に階級的実践のきびしい鍛錬をとおして、同志小林の作品に現れはじめたのであった。
主題の把握から見ても「地区の人々」は「戦争と革命との新たな周期」である刻下の情勢とプロレタリアートの課題から扱われている。杉山氏は同志小林を高く評価しながら、これらの発展の具体的な点を理解することは出来なかったのである。
同志貴司山治が『時事』に書いた文芸時評中にも、この作品を形象化の欠如という点からだけ批判し、「蟹工船」以後の発展、特に去年四月以後同志小林が行った本質的飛躍については触れていない。
同志小林が最近十ヵ月間の実践によって理論家としてもどんな発展を遂げつつあったかは、最近プロレタリア文学運動の一部に現れた日和見主義との闘争に関して彼が発表した諸論策を読めば自ら明かである。レーニン的党派性に鍛えられることによって、同志小林は、複雑、矛盾するこの世の諸現象を根源に横たわる、社会的階級的相関関係において把握することを体得し、即ち真理をより正確にとらえ得るに到っていたのである。
同志貴司山治は『改造』四月号の「人及び作家としての小林多喜二」で人間の「完成」「未完成」「性格」というようなものを何か固定的なもののようにもち出している。同志貴司は同志小林の性格における宿命的特徴のように「偏狭であった」ということを強調し、さながら同志小林の日和見主義との妥協ない闘争は、その「偏狭さ」の現れであったかのような印象を読者に与えている。
「気質」というようなものをただ抽象して固定化させるとすれば、それは極めて非弁証法的であり、危険であると云わなければならない。レーニンは裏切り者カウツキーによって偏狭どころか、偏執狂とさえ云われた。そしてそれがデマゴギーであることは、歴史が証明しているところである。
三
『中央公論』四月号には、同志小林の長篇小説「転換時代」が言語に絶する伏字、削除をもって発表されている。きくところによると、この題は『中央公論』編輯者によって変えられたもので本来は「党生活者」という題であるらしい。そして、去年の十月頃執筆されたものであるそうである。
「党生活者」は、その親しみぶかい沈潜した文章をとおして、ボルシェヴィキーの気魄を犇々《ひしひし》と読者に感銘せしめる小説である。「オルグ」を書いた時代、前衛を描きながらも同志小林自身の実感はその境地に至らず、描かれた人物だけがどこやら公式的に凄み、肩をいからしているような空虚なところがあった。「党生活者」において前衛である主人公の全生活感情は闘争と結合して、生々と細やかに描き出され、こしらえものの誇張や英雄主義が一切ない。日本のプロレタリア文学は、この「党生活者」において謂わば初めてボルシェヴィク作家によって書かれた真のボルシェヴィクを持ったのである。このプロレタリア文学の鋭い進展を思って、無限の鼓舞と激励を感じるのは決して筆者一人ではないであろう。
支配階級があらゆる反動文化機関を動員して、プロレタリアートの前衛についてデマゴギーを撒きちらしつつあるとき、この「党生活者」は、よくその陋劣な欺瞞を粉砕するものである。
長篇の一部故、次回にどう発展するか待たなければならない。四月号に発表された部分についてだけ云うと、主人公である前衛が大工場の職場を弾圧によって失ってからの経過が大部分を占めている。前衛が職場の大衆の裡にあってどう活動するかという課題は、第一回に書かれている前衛の不撓不屈なボルシェヴィキ的精神の根源でありまた具体化、実践の場
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