自分に都合のいいように使われるが、真実の罪は、罪ありとしてさばかれるものにはない場合がある。だが法律は、真実に罪があるのでない者の運命にどれほど深刻に作用しつつあるかということについて、トルストイは、すべての人の注意をよびさまそうとしたのであった。
 法律は公正であると信じこむように教育されているが、階級社会で実際に法律がどうつかわれるかという実例はサッコ・バンゼッティの事件ばかりではない。五月三十日の東京人民大会でとらえられた八名の若い人たちの罪にしても、いろいろ考えさせる。新聞のつたえるところによると青柳弁護士が、あのさわぎを誘発したのは丸の内警察署の誰某と名前をあげて弁論している。ひとを一定の罪にひっかけるために挑発し、行動したものは、それが権力の使用人であれば罪はないというものだろうか。罪の原因をうみ出しつつあるものに罪はないのだろうか。この社会の正義というものについて大きい疑問を呈出したのがユーゴーの「レ・ミゼラブル」であり、その主人公ジャン・バルジャンの飢えである。
 六月四日の新聞は世界の人の目に何ともいえない皮肉さで腹の底までしみとおるような写真をのせた。六月三日は動物
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