として見られるようになるかもしれない。社会的成員の条件の一つのように見られるのかもしれない。そして、それはそれでいいのだと思う。
けれども、常識というものが社会の歴史の推移のままにそういう風に動いて変って行く時、その常識の内からよりましな人間としての生活を女も男も希望してさらに次の歴史に働きかけてゆく為には、いつの時代でも、常識の変化に身をゆだねる受け身な生きかたばかりでは不十分である。
常識は合理的な半面と、当面の便宜のために不合理をいいくるめているような一面とを常に持っている。若い世代の誇りと責任とは、常にその新鮮な心と体とで、常識の錆びをふるいおとしてゆくところにあるのではないだろうか。若くて真率な、何故? という問いこそ、その人自身を成長させる原動力だし、社会をすすめてゆく潜勢力ではないだろうか。
若い女性たちが、来年の春、おそらくは未曾有の数で職業についたとき、そして、半年か一年か経過したとき、その娘さんたちの心にははたしてどんな何故? が生れるであろうか、それをこそ知りたいものだと思う。それらの何故? が、現実でどう解かれて答えられてゆくかという実際にこそ、明日のその
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