い人間の生活の可能を発見しようとしてのもがきであり、試みであり、輾転反側であることは疑いないことを確信していると思う。しかし、よりよい可能の発見のために試みられる努力にも、実に錯綜した条件が働きあっていて、多くの予想しない矛盾や錯誤がおこって、すべてのことは一朝一夕には解決しない。そうかといって、希望がないのかといえば決して希望は失われていない。歴史の消長は強い底流れとなっている社会の必然をはなれてあり得ないのだから、よりよい可能が発見される前奏として、もっとも甚しい混乱や紛糾や欠乏が来ることも十分あり得る。そのような歴史の波に、人間が個々の生活者としてうちまかされるか、それともその歴史に働きかける力となってその混乱をより正常な方向にむけるために役立ち得るかということは、めいめいが社会の歴史に対して抱いている遠い見とおしに立っての判断と確信の有無によるのだと思う。
信念をもって生きよ、ということは、この頃私たちの日常にしきりにきこえている声である。いろんなところで、いろんなことについて、信念がいわれている。
だが、信念とはどういうものなのだろう。信念というものは人間の心のどういうと
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