娘さんたちの生活とその総和としての明日の日本がかかっているのだから。
 この問題のきわめて心をひかれる点は、そんなに多量に数十万人の若い女学校卒業生たちがともかく社会の勤労に向って招かれている一方では、女の職業というものを一時的に見る習慣がますます固執されていて、この間きめられた女子の賃銀の規定も、現在の平均が女の収入は男の収入のほぼ三分の一であるというところに立ったまま算出されていることである。そういう部面を専門に扱う役所の考えでは、もし女の収入を今よりも多くしたらば女が永く職業についていて男の妨げになるし、結婚の時がおくれて人口問題が生じるということだそうである。
 折角、どっさりの娘さんが職業の場面に身をおくようになっても、周囲も自分も一時の就職と考えているとしたら、その結果はどんなものだろう。
 どうせじきにやめるのだから、給料はどうでもいい、小遣がありさえすれば、ということは、本当に生活の必要から働く女のひとの給料を永劫にやすくしておく一つの条件となるだけでなく、娘さんの生活感情に変な無責任さをも与えてゆくと思う。この社会に一人の人が生きてゆくに、どれだけのものが入用か、それをわが手で得てゆくことが女としてどんな努力を求められることか、それらのことがらをまじめに発見してゆく機会を与えられないと同時に、これっぽっちのサラリーなんだもの、そんなに馬鹿正直に働いていられない、という仕事に対する妙な要領のよさを身につける危険がある。つとめさきでのそういう心理は、決してそのビルディングを出たときその人たちの心からふるい落されるものではないと思う。いつかしら、心の髄へまでくいこんで、その人は自分の人生態度全体に、妙にはすかいになったような、要領よさでやってゆけそうに思いちがいをするようになって来る。それは非常に重大な不幸であると思う。
 その上、人が不足してそのような広汎な女性の就職が生じているのだから、いやなところはやめても、すぐまた別のところへうつれることもあるかもしれない。働くところの条件がわるくて体を痛めても、もともと生活の必要からではない就職なら、すぐやめてその療養は親がしてくれるという安心もあるだろう。
 婦人が職業をもって社会に生きてゆく事が、そのひとを強め高めるのは、その仕事を通じて女が社会でどう扱われているかという現実を飾りなく学び、自分の力をも客観
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