ど、その賢さを、結婚生活には金のある男のひとを相手として選んだ方がよいという風な卑屈さに向けないで、職業についても、自主的な理解をもって対してゆくところまで高めてゆくときが来ていると思う。
先輩の働く女性たちがあるいは自分をただ傷つけるだけであった職業上の幻滅というものをも、これからの若いひとたちは単純に幻滅とせず、自分一身の上におこったことを、よりひろい社会の今日という背景の前において、女全体の生活の現象の一例として、深く考え、そこから何か改善のためのささやかな可能をも見出して行こうとする。そういう生活的な暖い、まめな気持が必要だと思う。職業そのものがたまらなく面白いというようなことはどんな職業にしろないと思う。たとえば谷野せつ氏の「女子労働に関する報告」を見ても、千三百十四人の工場に働いている若い女性のうち、八〇パーセントは仕事そのものについて「何の興味も持てません」と答えている。そこには、常に苦痛だの困難だのがともなっていて、いわばそれをどうもってゆくかということから女は成長して来ているのである。未来の女性のひろやかでつよく快い生活力への期待は、今日と明日の若いあまたの女性たちが、このように不利であり不備である時代の現実のなかで、なおかつ未熟ながらも精いっぱいによく生きて自分たちの世代の価値を発揮しようとつとめてゆく実際を、ぬいて考えることは不可能なのである。
自分たちの明日は自分たちの意志でこそつくられてゆく。若い女性たちは、この真実を十分な責任感とともに感じとらなければならないのではなかろうか。自分たちの若い生命がそれに不条理を感じること、反撥すること、それをいくらかでも生活的に訂正して、より若い後からの世代につたえようとする姉らしいやさしさと勇気こそ、常に世代の姉妹としての私たち女の情愛ではないだろうか。
この頃、あちらこちらといろいろなグループをこしらえて、働く余暇に体育をやったり稽古や勉強をすることがはじまってきている。これは一つの流行であるかもしれないが、やはり働く女のひとの生活をゆたかにする機会としてよろこんでいいのだと思う。地味な、うちとけた仲間で集って、それぞれすきな勉強や稽古をし、ハイキングなどもして、たのしむこともみんなでする気風はいいと思う。これまで勤めと家庭の生活、自分の稽古事は、全然二つのきりはなしたものに扱って来ていた娘さん
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