して自分のものにしなければならないのではないだろうか。
何故ならば、来年の春からはそのようにして一層おびただしく働く女のひとが群れ立ってゆくのに、婦人の職業上の立場は実際上改善されていない。大体やっぱりこれまでどおり低い報酬と固定して向上の見とおしのない位置におかれたままの状態である。この点の改善の希望は今日深い意味をもって現れている。若い女性たちにとって、新しい職場をもった最初の心持は、どんなに珍しくいきいきと目と心を刺戟されるだろう。けれど、半年か一年経ったとき、これまでの幾万の女性たちが経験したと同じ倦怠と単調さに対する苦痛が彼女たちを襲うにちがいない。それをやっと持ちこしてからは一種の惰力で働きつづけて行くという消極のなかで若いこれからの女性は乾いて萎れて行ってはならないと思う。職業なんて、どうせこんなもんだ、そういう気分に陥っては自分の若い貴重な命に対しもったいないと思う。
明日の若い女性たちは、質実な理解で、はじめから今日の状態で職業というものはどういうものかということをちゃんと覚悟してかからなければならない。
シャロッテ・ブロンテというイギリスの女流作家の小説に「ジェーン・エーア」という作品がある。若いジェーンが生活のために職業を求めて新聞に広告をのせる。すると、何通かそれに対する手紙が来る。ジェーンは一つ一つ開いてみて、最後の一通の求人に応じて行ってみることにきめる。その手紙の内容は、ある田舎の荘園で、女主人は病弱なので家政婦が家事取締りしている。その助手と鶏舎の監督をする健康な飽きっぽくない若い婦人を求めているのであった。ジェーンは、その手紙をくりかえしてよんで考える。この手紙には何一つ特別珍しいことやとびつくような好条件というものがなくて、いかにも仕事に人を入用としているらしい手紙だ。これにきめましょう、と。ジェーンは、外の手紙がどれも何かうまいことのありそうな文句や誘うような好条件を並べているのを見て、若い着実な女性にとって本当に職業らしい職業の口ではないと直感するのであった。容貌とかその他、女性のためにかくされた危険や曖昧さのあることを感じたのである。
ずっと古く読んだ小説であるけれど、ジェーンのこの気持は働いてゆく女の心の動きかたとして、印象に刻みこまれていて消えない。日本の若い女性たちも社会的に次第に賢くなって来ているのであるけれ
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