近頃一方に制服ばやりがあると共に、他方では極端な服装の単一化が考えられているけれども、先頃ナチスのヒットラー・ユーゲントが来たとき、割にその近くで接触していた人の話では、ユーゲントたちは制服は一通りだけれども、服装としては六七通りはそれぞれの必要にしたがって持っていた。ユーゲントの制服だけ見て、それだけ真似て、一組の装で万事すませようとするのだったら可笑しい、ということだった。
衣類の本当の合理化は、その人々の働きの種類によって、休安の目的によって形も地質も考えられるのが当然である。
人の働きもいろいろで、私の着物は他のものを書く人と同様に独特の痛みかたをする。日本服だから袖口が痛むのはおきまりだけれど、絶えず机にすれるものだから袖口の外側からその下にかけてのところだの、羽織の襟の机に当るところだのが知らないうちに忽ち切れてしまう。それから、いしきが抜ける。これは私の重さもあるけれど、細いひとでも、一日の大部分腰をかけて、気付かない体の動きをつづけているひとは皆ここを切る。
羽織の袖口が余りバラバラおそろしくなるので、今着ているのは、外側から同じような布地でくるみぶちをとって
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