ひとが、若さを衣服の赤勝ちな色でだけ示している習慣をよく気の毒にも粗野にも思って眺める。そういう色の溢れた中から、パッと鮮やかな若い眼や唇がとび込んで来ることは非常に稀である。燃えるような紅をもっとしまった効果で、小さく強く、その紅が青春のおどろきとして効果をあげるように使われたら、どんなに美しいだろう。洋装では灰色を瀟洒に着こなしている若い女性は、和服だとやっぱり平凡な赤勝ちに身をゆだねて、自身の近代の顔を殺しているのが今日である。
 どうせ日本服があるなら、羽織を何時でも着て、折角の着物の趣を削ぐ風俗も少し改まればいいと思う。冬でも、おしゃれをしたときは、羽織なしがよい。よっぽど年をとったひとでない限り、たとえ私のようにまん丸であろうとも羽織なしの装はわるくないものだと感じられる。そういう点で、ふだん着とはちがう感情のアクセントがあってもわるくないものだろう。
 日本服だと、着こなしが云われて、その人としてのスタイルというところまでなかなか表現されていないことも、私たちに女の生活の一般化された平面さを考えさせる。年頃の娘さん、令嬢、奥さん、そういう概括はあるけれども、どんな娘さんというその人としてのスタイルを日本服にあらわしている人は極めて尠くて、それより先に金めがあらわれて来てしまっている。目につくのが好みより先に金のかけ工合であるというようなことは、やっぱり女の内面の貧しさを裏がえしに現していると思う。
 日本服というものを、末梢的にこねくって不徹底なみっともないものにするよりも、働くための服装は思い切って東西を問わないその人々の仕事にふさわしいものに変化させて行ったらいいのだろうと思う。
[#地付き]〔一九四一年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人の生活」第二冊、生活社
   1941(昭和16)年4月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボラ
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