になるとともに思想的な動揺から数年間に亙る放浪の旅へ出るまで、少年藤村の毎日は明治十三年から二十七年時代の東京で銀座裏や大川端や高輪辺に過された。しかも、これらは、いずれも馬籠の父の家と親類にあたる家か、さもなければ先輩・知人の家で、少年藤村は謂わば寄寓の身の上であった。「生い立ちの記」をよんで見ると、国を出る迄末息子としての藤村が、お牧という専属の下女にかしずかれ、情愛の深い太助爺を遊び対手とし、いかにも旧本陣の格にふさわしい育ち方をしている姿がまざまざと浮んで来る。それが急に言葉から食物まで違う東京、母も姉もお祖母さんも傍にはいないよそ[#「よそ」に傍点]の家での明暮となり、小さい藤村が、故郷の景色を懐しく思い出し、故郷でたべた焼米や椋葉飯やを恋うた心の切なさはまことに想像される。紫紐で髪を結えた藤村の父は、僅か九つ、今日なら小学二年生になったばかりの息子を東京へやる餞別として、五六枚の短冊を与えた人である。「行ひは必ず篤敬。云々。」と書き与えた人である。故郷が恋しい、母サンやお祖母サンガ居ナイカラ僕ツマンナイヤ、とは、幼い藤村の手紙に決して率直に書かれなかったであろう。
 藤村が
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