「炉辺雑興」「労働雑詠」等に到って、この詩人が、小諸の農村生活の日常に結びつくことで、こんなに自然を観る態度が異って来たかとおどろくばかりのものがある。三四年前、「されば落葉と身をなして、風に吹かれて翻りつゝ」ロマンティックな文学的放浪にあった時代の作者は、『夏草』において次第に自然と自己とを平静に対置して眺めあわせることを学び、『落梅集』に来ては、人間あっての自然、人間生活によって眺め、関係されるところの自然、労働の対象としての自然を眺めることを、生活から学びとっているのである。現代の農民が野良に出てゆく時の複雑な心理を、その「労働雑詠」がとらえていないということを、きびしく云うには当らない。それらが、美化された労働・労働を眺めるもののロマンティシズムにたって謳われていることだけを云々するのは妥当を欠くであろう。藤村の歴史性、個人の境遇的な特質が、こういう風に積極的に人間と自然との結びつきを謳ってもなお歴然たるところに、未来の詩人たちへのかくされた可能なこの示唆があると思う。
 小諸で暮すようになったその年、若い詩人で塾の教師である藤村は、冬子夫人と結婚した。「小諸へ行ってから更に大いに心を安んずることが出来た。」と書いている。落梅集に「枝うちかはす梅と梅」「めぐり逢ふ君やいくたび」「あゝさなり君の如くに」「思ひより思ひをたどり」その他少くない愛の詩が収録されていることも、当時のそのような事情とあわせ考えるとき、おのずから微笑ましく肯けるのである。
『落梅集』が詩人藤村にとって、少くとも今日までのところは最後の詩集となっている。小諸生活、良人となり父となって境遇の一層社会性の豊富になった日常は、藤村に「詩から小説の形式を択ぶように成」らしめた。
 詩から小説へと移ったこの重大な転換の動機は、これまで藤村自身によって、その文筆的労作の中にこまかく分析されてはいないようである。様々の複雑なものが絡み合っているであろう。けれども詩では謳い切れず、表現しきれぬものが、社会生活から彼の精神に呼びかけるようになって来たことが、その動機の一つをなしていることは確かである。
「千曲川のスケッチ」は、詩から小説へ移る間の足がかりとして、藤村の全作品の系列の中に深い意味を保つものである。この時代、日本文学の動きのうちにホトトギス派の写生文の運動がおこり、現実生活と芸術との関係について
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