に、「行ひは必ず篤敬」という態度に自分をおいている。こういう性格の藤村が、その芭蕉研究において、芭蕉の芸術が所謂翁の枯淡さでは決してなくて、抑えに抑えた鬱々たるもの、抑えられたる中年の力の芸術であると看破っていることは、面白い。
 従って、藤村の自然への愛着にも、この人間関係の間において少からず抑えに抑えたるもののはけどころ、或は逃げどころ、人間よりは気の楽な話し合いてとしての自然という要素がある。西欧文学の波にうごかされ、高らかにロマンティシズムの調を謳いつつ、藤村の詩がその第一詩集から形式・用語において過去の日本文学和文派の遺産の上に立っていたことは、自然に身をうちまかせる彼の情緒の本質がやはり自然への逃避の性質を多分にもっていたことを語って、尽きぬ感興を起させる。バイロンはイタリーの海で生命を終ったが、彼の生命の本質は彼のロマンティストとしての英雄の憧れ、自由への飛翔の間に終った。日本へ渡ったロマンティシズムの文芸思潮が、いかなる形で過去の日本文学の遺産ととけ合い、変質したかということの一つの実例として藤村の詩は見直される意味がある。
 藤村が、近年次第に自然について教訓的にものを云いはじめていることは、私共の注意をひく。「樹木の言葉」などにも、はっきりそのことは感じられる。人生の幾波瀾を経て、困難多岐な社会生活を観察して今日に至った老芸術家が、自然に向かってもその青春時代のようにその花の色、濃い緑、枝もたわわな実の美しさだけに目をうばわれず、寧ろ、日夜を貫いて営まれている生命の流れ、その多様な変貌、永遠性などを感じるのは当然のことであろう。花の咲き乱れた樹より、冬枯れの梢の枝の美しさを愛し、そこに秘められている若さを鋭く感じる老境の敏感さは、私共にやはり同感されるものである。しかし、自然を教訓的に語るということには、やはり芸術家を戒心せしめる要素がある。
 若い日のゲーテは、あのように活々と瑞々しく自然を感覚的に詩化した。老年に到って、社会生活の溌剌たる摩擦が身辺から次第に遠ざかり、彼に対する敬意から、誰も彼の主観的な冥想を妨げ揺すぶることがなくなった時代、ゲーテの偉大な横溢性においてさえ、自然はその芸術の間に観念化されて表現されはじめている。
 ロマンティックに自然を見ることも、それが観念的であり、非現実であることは、自然が箴言的に眺められ語られる場合と同
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