い。私は、六つばかりの赤いジャケツを着た女の子をつれた男が、本気な好奇心を動かされた表情でいろいろと満鉄のことを訊きたがっている様子に、注意をひかれた。水道局か何かに勤め、目下のところ月給はとっているが、決して現在の境遇に安心してはいられない。落付きの中に不安のこもったそういう一家の主人の気配りが紺足袋でネクタイをつけた温厚な男の質問の口調に現れているのである。
「あっちの景気はどうです?」
 膝にまつわりつく娘の子の肩に片手をかけつつ、目はカーキ色の顔に向けて訊いている。
「満州国へ入っちゃ大したことはありません。マアすこし勝手がきくぐらいのもんですね」
 二人の間にはそれから満鉄傭人のこまかい等級差別について話がすすんだらしく、カーキ色が、
「二円、三円と一つずつ上って六円までつくからね」
と云った。
「ふーむ、それが大きいですね」
「結局おんなじこってすよ、どこへ行ったって残るだけくれないからね」
「――まったくだ」
 大宮を過ると、東武線の茶色の電車が、走っている汽車に見る見る追いぬかれながら、におのある榛の木の間、田圃のむこうを通った。まだ短い麦畑の霜どけにぬかるみながら、腹がけをした電信工夫が新しい電柱を立てようとしている作業が目を掠める。
 窓外の景色がすこし活々して来るにつれ、赤いジャケツの娘の子は退屈がまして来るらしく益々父親の膝に体ごとまつわりついて、赤いほッぺたをふくらし、つぎのあたったゴム長の足をくねらせ、じぶくっている。満鉄員との話に気をいれている父親は、さっきから、殆ど機械的に一銭玉をいくつか出してはじぶくる娘に握らしていたのであったが、女の児は体をグニャグニャさせるはずみに、手がゆるんでジャリと銭を床の上にばらまいてしまった。父親は、
「ホラ、まひとつ。そっちにあるよ」
と女の児が尻を立てた危げな恰好で、水にぬれ蜜柑の皮も落ちている穢い三等車の床の上に一銭玉を拾って歩くのをさし図し、
「ホーレ、見な、ここさ落すと取れないよ」床についた痰壺の穴へ指さして教えている。
 一つの駅で、野天プラットフォームの砂利を黒靴で弾きとばしながらどっと女学生達が乗込んで来た。いかにも学年試験で亢奮しているらしく、争って場席をとりながら甲高な大きな声で喋り、
「アラア、だって岡崎先生がそう云ってたよ、金曜日だってよ」
「豊ちゃん! と、よ、ちゃんてば! 飯
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