ンピースを着た千鶴子はいいえと云って首をふりかけて、
「あ、すみません、一人いらっしゃいました」
 おかしそうにすこし雀斑《そばかす》のある瞼の中で眼玉をくるくるさせた。
「とても髭の特徴のある方が見えましたわ。よくいらっしゃる方――」
 その日は午後一時から関係者の定期集会がある日なのであった。
「髭の特徴がある人って――誰かしら」
 千鶴子は団扇《うちわ》をとって、向い側から道子の方へ風を送ってやりながら、
「一番ちょいちょい見える方――会計の方じゃありません?」
「豊岡さん? あのひとならそんな髭なんかないわ」
「あらア、だってあったんですもの」
「だってあの人の顔なら私もう二年も見てるのよ」
「そうかしら――たしかにあの方だと思うんですけど。あの髭……」
 いかにもそれは特別な髭という調子なので、道子も、云っている千鶴子もとうとうふき出した。
「まあいいわ、又来るって云ったんでしょう」
「ええ」
「じゃあ今度こそよく見とこう」
 千鶴子はくすくす笑っている。
 その狭い事務室には内外の専門雑誌とカタログとが、各部門別のインデックスで整理、陳列されていた。会議室は、もう一階上の四階を賃借りしてつかうのだけれど、準備の間はもとより集会の間にも道子は幾度かそこを上から下へと往復しなければならないのであった。大テーブルのぐるりに三十人近い頭数だけ、雑誌の最新号と議題を刷ったものと維持員名簿をもふくめた参考資料をキチンと並べ終って道子が、
「大体よさそうね」
 その辺を見廻している時、ドアを開ける拍子にノックする内輪のものらしさで、
「やあ」
 入って来たのは、ぬいだ上着を手にもち、カンカン帽をもう一方の手にもっている太った豊岡であった。
「ひどい暑気ですなあ、フー、そとはやり切れたもんじゃない」カンカン帽で風を入れながら、
「ここも扇風機がたった一つじゃ無理だね、お偉がただけふかれて、こっちまでは当らん」
 さっさと上座の方へ行って白塗の扇風機のスウィッチを入れた。それと一緒にテーブルの上へ並べた書類が飛びそうになった。千鶴子が、
「あら!」
 それを押えながら、やっと今まで呑みこんで辛棒していた笑いを爆発させる公然の機会とでもいう風に肩をよじって笑い出した。
「や、これはすみません。これならよかろう」
 ファンの向きをかえている豊岡に、道子が、
「さきほどお見えに
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