ての真実がここに示されている。
 討議(ディスカッション)という意見の発表と研究の方法を日本の人民は学ぶべきであるといわれはじめてから、まだ五年しかたたない。五年後のきょうの実状をみると、日本の一般には開放的でまた探求心のつよい討議の習慣がつくられるよりも早く、過去の半封建的日本のモラルの標準語であった善とか悪とかいう表現での片づけかたが、流布しそうである。善かさもないものはただちに悪と、固定された、ただふたすじのみちが、もし、特定のものの便宜のために日本の人民の理性の上に敷設されるなら、それは、人を生き埋めにした上につくられた滑走路のようなものになるだろう。社会の発展の過程にあらわれる善と悪とは馬琴の勧善懲悪小説の善玉、悪玉であらわされるよりはるかに動的で互の関係のうちに質の変化を経験してゆくものである。そこにわれわれの実践と客観的な観察と批判が必要となって来る。
 言論の自由を奪うということは、ただそのときその人がいおうとしている意見をひっこめさせる役割を果すだけではない。思うことのいえない人間はだんだん無気力になり自分で判断しようともしない無責任になれて来る。社会的自主性のよわいひきまわされ放題な人となる。日本人の性格のよくない特徴として、敗戦後、あらゆる外国人から指摘された一つに「自分の意見をはっきりあらわさない」という点があげられている。そのことを忘れてはならない。内と外からの愚民教育に対して、わたしたち人民の男女は責任あるたたかいをつづけなければならない。[#地付き]〔一九五〇年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「全農林」
   1950(昭和25)年8月10日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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