緒にどうにかして行きましょう!」
と呼びかけずにはいられなかった。
 そして、あのとき、もし自分が大人だったら、そうっと彼が泣く訳を聞けるだろうのにと思った心持は、そのときよりはっきりとした解答、彼の泣いた訳も、結果も分っているという心持を伴って、一層の同情を喚び起したのである。
「彼も人間である。私も人間である。私が生きるために、彼の命を軽ずるのは正しいことか」
[#ここから1字下げ]
狆《ちん》に縮緬の着物を着せて、お附きの人間をつけて置く人が、彼の門前で死に瀕する行倒れを放って置くのは正しいことか。
そういう人に媚びて、ほんとの同情をごまかしたり、知らない振りをするのは正しいことか。
優しい鼓舞と助力は待ち望まれている。彼等の歎息に耳をかせ。
[#ここで字下げ終わり]
 彼女は、書きながら、心がブーンブーンと鳴り響くような心持がした。
「弱い者、気の毒なものが虐げられるのが悪いのなら、そうでないように出来るだけやってみることに、何の躊躇がいろう。
 よりよく、より正しい方へとすべては試みられなければならないのではないか、
 どんな辛い目にあっても、自分は彼等のために尽す。ほんとの正しい、人間らしいいつくしみ合いに祝福あれ!」
 彼女は希望に打たれて、泣き出さずにいられなかった。そして、
「ああやっと来た! やっと自分のほんとの生活が見つかった! おてんとうさま。私の神様。
 私は嬉しい。ほんとに、ほんとに嬉しい」
と、躍り上るような字で書きつけた鉛筆を、投げ出した彼女は、せっかく書いた字が皆めちゃめちゃになってしまうほど、涙をこぼした。
 悪霊のような煩悶や、懊悩《おうのう》のうちに埋没していた自分のほんとの生活、絶えず求め、絶えず憧れていた生活の正路が、今、この今ようやく自分に向って彼の美くしい、立派な姿を現わしたように思われていたのである。
 彼女は、自分の願望を成就させるに熱中した。
 寛容な、謙譲な愛によって仲よく、睦しく助け合って行く自分達を想い、心が安らかに幸福な一群が、楽しく元気よくほんとの「自分達の働き」にいそしむ様子を描きながら、自分の許されている範囲において、真剣に彼女は、出来るだけのことをして行ったのである。
 これ以外には決してないと思われる仕事に対して、たとい量は少く、範囲は狭くあろうとも、彼女の真面目さは絶大であった。徹頭徹尾一生懸命であった。
 そして、些細な失策や、爪ずきには決してひるまない希望を持っていたのである。
 けれども、時が経つままに、彼女の理想がどんなに薄弱なものであり、その方法や動機が、動揺しやすい基礎の上に立っていたかを、証明するような事件が、次から次へと起って来た。そして、彼女の物質的助力や、熱心にはしたつもりの助言は失敗に帰したことが明瞭に示されることにならなければならなかったのである。
 客観的の立場からみれば、それは当然来るべきものであった。それどころか、若し来なければ、彼女は恐ろしい不幸に陥らなければならなかったほど、それは意味ある、「尊い失敗」であった。
 けれども、最初のあの嬉しさに対し、希望に対し、第一に引き上げ、高められるべきはずだった多くの「彼等の魂」を、もとのままの場所からちっとも動かし得ずに、遺さなければならなかったことは、彼女にいかほどの、苦痛を感じさせ、赤面を感じさせたことだろう。
 かつて、「ああやっと来た!」と書いた言葉の前へ面を被いながら、彼女は
 達者で働いておくれ! 私の悲しい親友よ!
という、訣別の辞を与えなければならなかったのである。

        六

 まったく。悲しき親友よ!
「私はきっと今に何か捕える。どんな小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞ待っておくれ」
 彼女は、否でも応でも、彼等に向って別れの手を振らなければならなかった。
 が、何かを捕えようとして延した片手の方角には、いったい何があったろう。
 失敗した計画が、しおしおとうなだれて行くあとについて、これこそ自分の一生を通じてするべき仕事だと思われた確信が、淋しい後姿を見せながら、今までより一層渾沌とした、深い深い霧の海の中へ、そろそろと彼の姿を没してしまうのばかりが見られる。
 そして、目前には、遺されたいろいろの問題――ほんとの愛情、善悪の対立の可不可――が、黒く押し黙って、彼女の混惑した心に、寒い陰をなげたのであった。
「私は、私の全部において失敗してしまった。大変悲しい。恥かしい思いに攻められる。そして、なおその上、失敗した思想以上に、一分も進んではいない頼りなさ、不安を感じずにはいられない。けれども、
 神よ我に強き力を与へ給え……。
 私は決して絶望はしない。絶望してはいられない。真面目な科学者は、彼の片目を盲《めしい》にした爆発物を、なお残りの隻眼で分析する勇気と、熱愛と、献身とを持つ」
 彼女は確かに失望もし、情けない恥かしさに心を満たされもした。
 けれども、極度な歓喜に燃え熾った感情が、この失策によって鎮められ、しめされて、底に非常な熱は保留されているが、触れるものを焼きつける危険な焔は押えられた今、まったく思いがけないもの――静かに落着いて、悲しげな不思議な微笑を浮べながら、
 まあ、まあ落着きなさい。え、落着きなさい。
と囁くもの――を、自分の心の中に感じたのである。それは、あの守霊でもなかったし、神様でもなかった。まして、感情が戯れに見せる空想でもなかった。
 幾重にも幾重にも厚く重り、被い包んでいた感情が燃えぬけた僅かの隙間から、始めてほんとの理性が、今、静かな動ぜぬ彼の姿を現わしたのである。
 まあ落着きなさい、それからとっくりと考えてみなさい……
 彼女は、上気《のぼ》せていた頭から、ほどよく血が冷やされるのを感じた。そして、非常にすがすがしい、新らしい、眼の中がひやひやするような心持になった彼女は、もうまごつかなかった。あっちこっちへ、駈けずりまわる周章から救われた。理性の出生は遅すぎたかもしれないが今現われてくれたことは、ほかのどのときにおいてよりも、彼女にとって幸福な、ほんとに役立たれる場合であったのである。
 彼女は微かに、自分の性格が、根本的にある変化を与えられようとしていることに気が附いた。
 自分としては、この失敗とこの理性の目覚めを伴わなければ開かれなかったと思われる方へ、非常に非常に僅かではあったが望みを見出した彼女は、或る意味においての感謝をさえ感じながら、二冊目の帳面の扉へ
 求めよ、さらば与えられん。
と、丁寧に書きつけた。そして、反抗や焦燥や、すべてほんとの心の足並みを阻害する瘴気《しょうき》の燃《た》き浄められた平静と謙譲とのうちに、とり遺された大切な問題が、考えられ始めたのである。
[#ここから1字下げ]
「自分は、彼等を愛した。それは確かである」
けれども、その愛が不純であり、無智であり、近眼であったからこそ、こういう失敗は来たされた。それは否定出来ない。
「それなら、ほんとの愛情、ほんとの愛情に到達する段階は何か」
[#ここで字下げ終わり]
 第一頁に書かれた、その文句と向い合いながら、彼女は、黙然とせずにはいられなかった。
 ほんとの愛……ほんとの愛……
「我々の眼で見えるもので我々の愛を受ける価値のないほどに小さなものは一つもない」
                         メーテルリンク
という言葉に、朱線を引き、感激した彼女は、今、その感激はちょうど、小さい子供が、頭の上の空で、美くしく拡がる花火の光りを、喝采《かっさい》しながら
 綺麗だなあ、綺麗だなあ
と賞揚すると、あまり大差ない程度の心の状態において、朱線を引かれ、感歎されたのだと思わずにはいられなかったのである。
 言葉の中には、非常に人の心を訳もなく動揺させる力を持っているものがある。
 人類を抱擁する愛。人類の解放。
 これ等の言葉は、言葉の箇々の響を知り、意味を知っている程度の者の心には、何となく崇高な、偉大な「感じ」を伴って来る。その「感じ」はどんなものだか分らないが、幾度も云ってみたいような何ものかがある。その何ものかに動かされて、響きばかりが、いつの間にか大切な、大切な、なかみを振り落したまま、恐ろしいくらい広い空間で、喧かましく鳴らされる。その響きに、自分の心も、フラフラと共鳴りを感じたのではあるまいかということが、彼女にとっては非常な恥かしさである、不安なのであった。
 寛容とか、謙譲とかいう言葉に、自分はホーッとなってしまわなかったか。
 人を愛することを知る自分に、自分から酔ってしまいはしなかったか。
 第一の詰問には、断然と、そうではありませんと云える彼女も、その次の前へ来ては、躊躇を感じさせられた。少くとも、「けっして」、そうでは、ありませんとは云えない何ものかが、心の奥にあったことを思い出さずにはいられなかったのである。
 親孝行というものが、ただおとなしく、親達の命令のままに暮して行くことではないということを知ると同じように、自分は自分の愛情――彼等への同情のうちに、理智の照り返しを与えただろうか。
 彼女は、惨めな乞食に、一銭投げ与える年寄りは、永い年月に向って彼に定職を与える者より、無智な愛情の所有者であることは知っていただろう、けれども、人間にとって、最も多方面な発動の可能を持つ愛情は、それが力強くあればあるほど、無智にも傾きやすい素質を持つことを、自分から放射される愛情について考え合わせていなかったことが、いろいろな失策を産む原因であったことを、今ようよう、ほんとに今ようよう、ごく僅か覚ることが出来たのである。すべての自分の持つ才能と同じに――否、すべての才能より真先に、愛は最高の練磨を受けなければならないはずであったことを、からくも今知ったのであった。
「宇宙に対する完全なる知と、神に対する完全なる愛とは同一不二である」
 という言葉を読む。まったくそうであろう[#「あろう」に傍点]。そうであろう[#「あろう」に傍点]という心持を一層強められる――
 そうあるべきものだが、自分には分らない。自分のものになるものは、まだあまり遠い彼方にある、
 という心持である。神の愛とは何か。
 神の愛とは何か、人類の愛とは何を意味しているのか、
「非常に深い河は地下を流れる」
という同じ人の格言通り、彼女の霞んだ、近眼が見るには可哀そうなほど、深い深い奥にその解答はあるのである。
 彼女は、おぼろながら、それを自覚した。もう言葉の、魅力や完全さは望まない。それを自分の胸に感じ、魂に知り、ちょうど疲れたとき、一瞬の虚無に脳を休めるため知らず識らず深い欠伸《あくび》をするように、必要であり、適当である場合には、知らず識らず、自分の中から溢れ出すものとなりさえすればよいのである。
 人類の愛、神の愛。それは自分が、自分達すべての仲間に感じなければならない生活の根本になる理解であり、万物の生死を司り、この惑星の微妙な運行と変化とを支配している力への、持つべき根本の理解である。
「夢ではない。物語りの幻でもない」
 汝の、曇らざる眼を見開け!
 彼女の心の前には、「奕々《えきえき》たる美」に、燦然と輝きながら、千年の地下の眠りから呼び覚まされたアフロジテの像に、静かな表情でコンパスと定規をあてて
「……私は切に知りたいのですから……」
と云った人の姿が尊く浮み上った。ほんとに、舌を持つほどの者は、「知りたいのです」という言葉だけは知っている。
 彼女は、知らなければならない欲に燃えた。そして、彼女の知る最上の手段で、僅かずつもそれは、満たされつつあるのである。
 あの、「地下を流れる河」は、もちろん、その反響さえも、彼女までは伝えないけれども、彼女が永い間、鼓舞され、愛護されていると思った、「守霊」は違った解釈を与えられなければならなくなった。
 第一に、守霊は、その名が示しているような任務を負わさるべきではなかった。
 個人的に自分の霊の番をしているような、そんな狭小
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング