愛……ほんとの愛……
「我々の眼で見えるもので我々の愛を受ける価値のないほどに小さなものは一つもない」
                         メーテルリンク
という言葉に、朱線を引き、感激した彼女は、今、その感激はちょうど、小さい子供が、頭の上の空で、美くしく拡がる花火の光りを、喝采《かっさい》しながら
 綺麗だなあ、綺麗だなあ
と賞揚すると、あまり大差ない程度の心の状態において、朱線を引かれ、感歎されたのだと思わずにはいられなかったのである。
 言葉の中には、非常に人の心を訳もなく動揺させる力を持っているものがある。
 人類を抱擁する愛。人類の解放。
 これ等の言葉は、言葉の箇々の響を知り、意味を知っている程度の者の心には、何となく崇高な、偉大な「感じ」を伴って来る。その「感じ」はどんなものだか分らないが、幾度も云ってみたいような何ものかがある。その何ものかに動かされて、響きばかりが、いつの間にか大切な、大切な、なかみを振り落したまま、恐ろしいくらい広い空間で、喧かましく鳴らされる。その響きに、自分の心も、フラフラと共鳴りを感じたのではあるまいかということが、彼女にとっては非常な恥かしさである、不安なのであった。
 寛容とか、謙譲とかいう言葉に、自分はホーッとなってしまわなかったか。
 人を愛することを知る自分に、自分から酔ってしまいはしなかったか。
 第一の詰問には、断然と、そうではありませんと云える彼女も、その次の前へ来ては、躊躇を感じさせられた。少くとも、「けっして」、そうでは、ありませんとは云えない何ものかが、心の奥にあったことを思い出さずにはいられなかったのである。
 親孝行というものが、ただおとなしく、親達の命令のままに暮して行くことではないということを知ると同じように、自分は自分の愛情――彼等への同情のうちに、理智の照り返しを与えただろうか。
 彼女は、惨めな乞食に、一銭投げ与える年寄りは、永い年月に向って彼に定職を与える者より、無智な愛情の所有者であることは知っていただろう、けれども、人間にとって、最も多方面な発動の可能を持つ愛情は、それが力強くあればあるほど、無智にも傾きやすい素質を持つことを、自分から放射される愛情について考え合わせていなかったことが、いろいろな失策を産む原因であったことを、今ようよう、ほんとに今ようよう、ごく僅か覚
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