発物を、なお残りの隻眼で分析する勇気と、熱愛と、献身とを持つ」
彼女は確かに失望もし、情けない恥かしさに心を満たされもした。
けれども、極度な歓喜に燃え熾った感情が、この失策によって鎮められ、しめされて、底に非常な熱は保留されているが、触れるものを焼きつける危険な焔は押えられた今、まったく思いがけないもの――静かに落着いて、悲しげな不思議な微笑を浮べながら、
まあ、まあ落着きなさい。え、落着きなさい。
と囁くもの――を、自分の心の中に感じたのである。それは、あの守霊でもなかったし、神様でもなかった。まして、感情が戯れに見せる空想でもなかった。
幾重にも幾重にも厚く重り、被い包んでいた感情が燃えぬけた僅かの隙間から、始めてほんとの理性が、今、静かな動ぜぬ彼の姿を現わしたのである。
まあ落着きなさい、それからとっくりと考えてみなさい……
彼女は、上気《のぼ》せていた頭から、ほどよく血が冷やされるのを感じた。そして、非常にすがすがしい、新らしい、眼の中がひやひやするような心持になった彼女は、もうまごつかなかった。あっちこっちへ、駈けずりまわる周章から救われた。理性の出生は遅すぎたかもしれないが今現われてくれたことは、ほかのどのときにおいてよりも、彼女にとって幸福な、ほんとに役立たれる場合であったのである。
彼女は微かに、自分の性格が、根本的にある変化を与えられようとしていることに気が附いた。
自分としては、この失敗とこの理性の目覚めを伴わなければ開かれなかったと思われる方へ、非常に非常に僅かではあったが望みを見出した彼女は、或る意味においての感謝をさえ感じながら、二冊目の帳面の扉へ
求めよ、さらば与えられん。
と、丁寧に書きつけた。そして、反抗や焦燥や、すべてほんとの心の足並みを阻害する瘴気《しょうき》の燃《た》き浄められた平静と謙譲とのうちに、とり遺された大切な問題が、考えられ始めたのである。
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「自分は、彼等を愛した。それは確かである」
けれども、その愛が不純であり、無智であり、近眼であったからこそ、こういう失敗は来たされた。それは否定出来ない。
「それなら、ほんとの愛情、ほんとの愛情に到達する段階は何か」
[#ここで字下げ終わり]
第一頁に書かれた、その文句と向い合いながら、彼女は、黙然とせずにはいられなかった。
ほんとの
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