ました。世の中によくある通り、或る標線からちょいとでも頭を出すものがあると、その価値を考える暇もなくびっくりし、まごついて、大急ぎで擲《たた》きつけるような人々を憚《はばか》って、擲きつけられるのをこわがって、私の道を曲げ、怯《ひる》んではいられません。
或る程度まで達するうちには、この無智な、狭小な魂の所有者である自分は、たくさんの苦痛と涙と、悔恨とに遭遇しなければならないのは、明かに予知されます。茫漠たる原野に、一粒ずつの金剛砂を求めて行くような労力と、収穫の著しい差異も、覚悟しています。けれども、ほんとにけれども、たといそれがどんなにささやかなものであり、目立たぬものであっても、
真理は真理なりという効益あるに非ずや
という、尊い言葉が私を失望させは致しません。
真理は真理なりという効益あるに非ずや
そうです。ほんとにそうです。私は、その何ものにも、彼の価値を減少させられることのない真理を、一つでも多く見出し得るように、努力し、緊張して行かなければならないのではありますまいか。
私はもう、あの人がどう云ったとか、この人がこんなことを云ったとかいう些細なことに、一々寄路をしたり、云わないようにして下さいとか、私はこう思いますと弁解してはいられません。
思いたいように人は思っていて、ようございます。
いろいろに思う人の言葉の中に、私のほんとの価値があるのでもなく、心をたのんで置くのでありません。
私は私なのです。それ故私の一生を駄目にするのも、価値をあらせるのも、皆私次第なのだと思うことは、間違っていましょうか。
自分が尊いと思うものの前には、私はいつでも膝を折り、礼拝する謙譲さをもっています。より偉大なもの、よりよいもの、美くしいものに、私は殆ど貪婪《どんらん》なような渇仰をもっています。
けれども、不正だと思うものの前には、私はどんなことがあっても頭を垂れることはありますまい。臆病になることもありますまい。
ただ、一度ほかない私の一生を、不正なものに穢されるのは、何といってもあまりもったいないことではないでしょうか、私は、よくなれるかもしれないものを、悪いことの中へ投げこんでしまう勇気はありません。私は、ただよりよくありたいためにばかり生きています。考えています。そして苦しんでいるのです。
ここまで来て、私は、何だかあまり興奮し
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