無用の長物であることの動かすべからざる証である。慈悲深い王は、我が愛する国民に、無用の長物を負担させて置くに忍びない。と書いてある。
自分の耳を切るのは厭だったので、総理大臣も一生懸命に忠告した。けれども、王様は神の命令であると云って取り合われないので、とうとう仕方なくその日から国中の人民が、泣きながら、耳殻を切られた。
十日ほど経って、王様は国を巡邏《じゅんら》されて、どこもかしこも、自分と同じ者ばかりで、もう一言の悪口も聞かれないのに、すっかり満足させられて、思わず王|笏《しゃく》を振りあげながら、万歳! と叫ばれた。そして、彼は、もう世の中のあらゆる不幸を忘れてしまった。
ところがその年の暮れに、急に隣国の兵が攻め寄せて来た。王様は早速、適当な兵を送り出して置いて、いつもの通り瞬く間に勝って来るのを、王宮の暖いお寝間の中で待っておられた。
けれども、どうしたのか、兵は、却って隣国の者に追いまくられ、散り散りばらばらになってしまったので、また、二度目の出兵が必要になった。ところが、その二度目も負けて、三度四度と、兵隊のたくさんが出されたが、どうしても勝てない。そして、とうとう、もう這っている赤坊の男の子ほか国中にいなくなってしまった。
『いったいこれは何事じゃ? え? お前の政治の手腕は国を滅すことほか出来ないのか、馬鹿奴、どうしたらいいというのか!』
王様が泣きながら怒鳴る前で、宰相は、これもまた涙をこぼしながら、
『陛下、恐れながら、耳殻のございました時分、我々の憐れむべき国民は、一度の戦に負けたこともございませんでした』
と云って、お辞儀をした」
この話を貴女は、どうお思いになります。もちろん、馬鹿馬鹿しい滑稽なことには違いありません。けれども、耳を切られ、殺されてしまわなければならなかった国民に、私は同情せずにはいられません。そして、その同情は即ち、これと同様な位置にある自分への同情であることはすぐお分りのことと思います。
こんな話を考え出すほど、このごろの私は、不安やら反抗やら、圧迫やらに苦しめられているのです。
いつぞや、御一緒に買った「あの本」の中に(多分智慧と運命のこと。)
「生命は我々に与えられている――その理由は知らない――けれども、それを弱からしめんためでもなく、また軽卒に振り捨ててしまうためでもないことは、確である」
とい
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