えるだろうか。所謂《いわゆる》女らしさへの又ひとつの隈《くま》として、しな[#「しな」に傍点]として、知性というような言葉も今日の会話の飾りとしてさしはさまれ、婦人自身何かそこに肩をよせているようなおぼつかなさは無いと云い得るだろうか。
今日は世界が歴史の深刻な一転機に面していて、地球はその緊張で震えんばかりである。鋭い、人間らしい、そして若々しい知性の苦しみも従って深刻であり、声なき呻吟にみちている。私たち婦人が誠意をもって自身の知性の問題をとりあげようとするならば、当然のこととして、社会的な半身である男の知性のおかれているありように就て極めてリアリスティックな洞察をもたなければならないと思う。夫唱婦随が美俗とされるところでは、夫の唱える知性の流れがどのように低い川底を走っていなければならないかということに新鮮なおどろきと悲しみの眼を瞠《みは》ったとき、婦人の知性の開眼はおこなわれるのであるとさえ思うのである。[#地付き]〔一九三九年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日
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