は、よしあしにかかわらず、一定の境遇とか、そこから予想されそうな運命というものをも、どしどし変えてゆく。そとからの力として否応なくどんなにおとなしい一人の若い婦人の日常にもそういうものが様々の形をとって迫って来る激しさは、今日私たちがありあまる程の実例の中に犇々《ひしひし》と感じているところではなかろうか。
人生と歴史の時代の、こういう複雑な曲折に身を処して、猶私たちが人間としての希望を守りつづけ、理性の明るさへの期待を失わず、身に添っている数々の困難さえ、はためにもただ悲惨なものとして終らせまいと願う雄々しい意欲をもつとすれば、それは果して通り一遍の女の勝気だの、負けずぎらいだので可能なことであろうか。ましてや破れ鏡のような小ざかしさなどものの役にも立ちにくい。
ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」(岩波文庫)という小説を愛読したかたは決してすくなくないだろうと思う。プチト・ファデットが自分の特別に荒い境遇を変化させて自分の真情からの愛をも完うしてゆく勤勉で精気にみちた姿は、人生への知性というものは、ああいう風にも現れるという活々としたよろこばしい見本の一つである。
又、近頃堀口
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