は、恐らくはこういう知性の微妙な動き、波動の重なるかげにあるように思える。
誰しもこの世の中に生れたとき、既にある境遇というものは持っている。それにつながった運命の大づかみな色合いというものも、周囲としては略《ほぼ》想像することが出来る。西洋に、あれは銀の匙を口に入れて生れて来た人というような表現のあるのもそこのところに触れているのだろうが、人間が男にしろ女にしろ、生えたところから自分では終生動き得ない植物ではなくて、自主の力をもった一箇の人間であるという事実は、その境遇とか運命とかいうものに対しても、事情の許す最大の可能までは自分から働きかけることも出来ることを示している。「人間は考える葦である」というような云いかたは詩的な表現として好む人もあるだろうが、現実の人間はもっとつよく高貴な能動の力をひそめているものである。根はしばられつつ、あの風、この風を身にうけて、あなたこなたに打ちそよぎ、微《かすか》に鳴り、やがて枯れゆく一本の葦では決してない。人間は自分から動く。動くからこそ互に愛し合いもすれば、傷け合いさえもする。そのように人間の動きは激しいのであるが、その激しい人間の間の動き
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