知性の開眼
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)獲《え》てゆく

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しな[#「しな」に傍点]として、
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 知性というとき、私たちは漠然とではあるが、それが学識ともちがうし日常のやりくりなどの悧巧さといわれているものともちがった、もう少し人生の深いところと関係している或るものとして感じとっていると思う。教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応は見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことが出来ないものと思う。教養ということは範囲のひろい内容をもっているけれども、そういう風な教養は外から与えられない環境のなかで、すぐれたいい素質として或る知性を具えているひとは、その知性にしたがって深く感じつつ生活してゆく間に、おのずから独特な人生に対する態度、教養を獲《え》てゆくという事実は、人間生活の尽きぬ味いの一つであると思う。
 この人生への愛。ひとと自分との運命を大切に思って、そこから美しい花を咲かせようとつとめる心。そのためには自然欠くことの出来ない落付いた理性の判断と、柔軟溌溂な独創性、沈着な行動性。それ等のものが、知性と云われるもののなかにみんな溶けこんでいて、事にのぞみ、場合に応じ、本人にとっては何か直感的な判断の感じ、或はどう考えてもそうするのが一番よいと思えるというような感情的な感じかたで、生活に作用してゆく。知性というものは抽象の何ものでもなく活々としてしなやかなダイナミックな生活力そのものにつけられた名である。

 例えば、日本の若い婦人たちにも心からの興味と尊敬をもって読まれたキュリー夫人伝にしろ、もしキュリー夫人の一生が、ただ研究室での根気づよい努力でラジウムを発見したというだけであったら、その科学的業績に敬意は十分払われるとしても、あの一冊の伝記が世界の人々の胸を呼びさましたような感銘は与えなかったに違いない。ポーランドの寧ろ貧しい一人の女学生であったマリイ。貴族屋敷の天稟ゆたかな若い家庭教師としての生活の経験や失われた恋。更にパリへ勉学に出る前後の窮乏。そして出てから、キュリーとのめぐり会い、その後の妻・母・科学者としての手いっぱいな彼女の生活の明け暮れ。そこを貫いて彼女に科学上の大きい業績をのこさせたもの
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