的結合と云う点にだけ強調して、互の事業を完成させる為、又は、互の精神的肉体的欠点を後代に遺伝させない為、全然子供を期待しないもの。
最後に、非常な下層民で、生活の機能、人格価値などに対してはまるで無知なものが、熾烈な本能に身を任せて、乞食のように暮しながら無数な子供を産んで行く一群。一方それとは全く反対に、有り余る金はあり、子供の教育に責任を負うに充分な丈の健康と知能とは持ちながら、所謂自由が味えない為、容色が衰えるなどと云う恐怖から、無良心に科学の発達を濫用する者の一群になると思います。
抑々《そもそも》、産児制限などと云う問題は、総論として一朝一夕に可否を断定し得ないものではありますまいか。それを現在の社会状態に鑑みて是とする者、愛国主義、或は軍備主義の尊重から、国家滅亡論として極端に拒絶する者。又、実際、それに対する箇人の道徳的意識が深正でない場合には、多くの誤りが行われることも事実でしょう。私は、ここでその一般論をとやかく云い度いとは思いません。斯様なことは、最も箇人的な、最も深い人生価値批判の後に解決されることと信じ問題としては各人の宿題にしたまま、先ず進みましょう。
事実として、深い意識、真面目な期待の下に生れ出た子供等を、彼等の母親達は、随分真剣に愛しています。よく、外国人の女は、我々ほど子供を大切がらない、と云うことを聞きます。けれども、彼女等が子供の為に考え、研究し、秩序を立てて計画しているのを見ると、決して一概にそうは云えない心持が致します。それは、勿論、日本の若い母親のように、暇さえあれば膝に赤児を抱いてもいなければ、歩くに背に負いもしません。日本では、一般に理窟なく、只、「子にほだされる」のを一種の美しい人情として余り過重視してはいませんでしょうか。
子供が一人生れると、朝から晩までその為に費され、本を読む暇もないのを、忠実な母の多忙と認めすぎてはいませんでしょうか。
その点では、彼地の母親は可なり考えかたが異っていると思います。彼女等は、先ず、出来る丈深い専門的知識から、子供に必要な、哺乳、散歩、沐浴、衣服交換等の時間表を拵えます。発育に従って種々な変動は起っても、兎に角大体子供の時間表に準じて、今度は自分の仕事を割り当てます。保姆を置くような家庭では、主婦の自由時間はいくらでもありましょうが、普通の下女なしの家や、一人位の助手を
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