も、今は、それ等が余り過度に根を張り、まず種を蒔いたもの――おおくの人間――自身が苦るしくてたえられない有様となって来たのではないでしょうか。どうにかして、真個の人間の生活に入らなければ生命がつづかない、これでは息がつけない、という所まで切迫して来た。若し、人類が、各人一つの心臓と共に、真剣な霊魂を与えられているなら、真実なものをつかもうとし、自分等の経た、少くとも或る部分のあやまりには気付かずにいられなくなって来たのです。それゆえ、殆ど、地球上全部の人間が、私は、今、新たな、もっと恒久普遍な価値を、生活の標準として見出だそうとつとめているのだと思います。一方からいうと、生活が苦るしく、疲れ、倒れるもののある位、当然であり、大きい目で見、謙譲に考えて、やむを得ない事であると感じます。一人として、過度な緊張からくる一種の疲労を感じないもののない程、我々人間は、人間の小細工でこしらえすぎた過去の文化に対して連帯責任を持っているし、他面から考えれば、そんなことを、都会人らしい感傷と女々しさでくどくどいっていられない、大切の時機に面しているとも思います。男や女という差別なく、たがいにしっかりた
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