さんの方がよくはけているのである。
 勤労階級の娘さん達は、殆どすべて何かの程度で生活の必要から職業についている。職業について遊び半分の気分はすくないのである。現在の社会構成は人間が一箇の人物として完成する可能性を極度に剥奪しているから、職業に熱心であれば人間として偉くなれるという簡単な結論はなり立たぬにしろ、本間氏夫妻はその会話の裏に計らずこめられた現実によって、例えば職業についても遊び半分の気のすくない勤労階級の娘が、フラフラして片手仕事に勤めている有産階級の娘より偉くなる可能性をもっているという重大な歴史の発展性を、私達に暗示しておられるのである。
 久美子さんが職業に突きすすみ切れずにいることに対し、本間夫人がその原因を久美子さんの性質にあるという意見を示しておられると思うが、私はこの点をも、興味ふかく感じて読んだ。一人のひとの性質というものも生活環境の複雑な関係によって作用されているものであるのだから、久美子さんがそういう内輪な気質であるとしても、その気質にしたがって、別に目下生活問題として職業につかねば食うに困るということはない本間家の生活状態が反映していると見られるのであ
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