を直接に、或は間接に肉体にうけて生活して来たのであった。従って、ひととおりそういう脅迫的な権力が崩壊したとき、日本の知識人は、はじめておおっぴらに自身の侮蔑を表現し、憎悪を示し、それにつばきしたのであった。
 その瞬間がすぎて、次に自分たちの日本の民主化という課題に向ったとき、既往の権力に示した侮蔑、憎悪の感情はどういう発展を遂げただろうか。ここに見おとすことの出来ない深刻な内面的危機がある。それは、日本のインテリゲンツィアとして歴史的な危機でもあった。民主主義運動の伝統の貧しい、それほど封建的な要素の多い日本のインテリゲンツィアは、人間として全く当然な自然発生の欲求から、生命の安定をさえ剥奪して来た既往の権力を否定したのであるが、その否定、拒否は明瞭に自覚されている民主化への欲求の上に立って発動したものであるとは云い難かった。堰いっぱいに充ちて来ている民主的要求の潮がバネとなって、つよくはじき出された既成権力への否認ではなかった。余り非人間だった過去の方法に対してその限り反撥し否認したのであって、それに代る自分たちの社会的発言力の構成としての政治形態は、はっきりつかまれていなかった。古い、惨虐な権力を退場させるものは、即ち自分たちインテリゲンツィアをふくむ全人民の進出である、ということが十分わかっている上で、古いものの否認がされたのではなかったのであった。
 このことは一九三三年以来、日本にはプロレタリア文学の運動が絶滅させられていた事実によって証明される。プロレタリア文学運動の窒息させられたあと、反ナチの人民戦線運動が日本にもつたえられた。これは、ドイツの封建的残滓の上に発生した封建的独裁に抗し、近代民主主義の基本的人権を主張した運動であった。が、日本では、プロレタリア文学運動をうちこわした治安維持法への恐怖から、人民戦線運動の骨子である社会性、近代社会の民主性の主張をぬきとって、この人民戦線運動が説明された。反ナチの運動は、決してドイツのナチズムへの遠い抗議でなかった証拠である。インテリゲンツィアがナチスの独裁へ反抗を示すことは、とりも直さず日本のなかで益々独裁を強化して来た絶対主義体制への抗議を意味したのであった。こうして、人民戦線の提唱のとき、もう近代の民主的主張をひっこめて、非政治的に、非社会的にそれを提案した日本の一部のインテリゲンツィアは、その後ひきつづく人間復興という文化上の提唱でも、全く骨ぬきの、口先弁巧に陥らないわけにはゆかなかった。何故なら、抽象的な人間復興というものが、現世紀の、対立する社会の生活者である人間にありようはないのであるから。日本の恐怖すべき絶対制は、この場合にも、社会生活に伴う階級性について、またその階級の歴史性について語らせなかった。非道な権力がそれを語らせなかったとともに、人民戦線の提示の場合ナチス的な封建性と近代民主主義の対立の歴史的な必然を消してしまった日本の一部のインテリゲンツィアは、非道な権力の代弁のように、人間の社会生活の現実にある階級性を抹殺した人間復興論を流布させた。こういうインテリゲンツィアの堕落の最も著しい典型は政治的な面で佐野、鍋山、三田村等の侵略戦争協力の理論としてあらわれた。文学では、文学の階級性を否定しようとする幅のひろい既成作家と旧プロレタリア作家の動きとしてあらわれたのであった。
 このように、歴史の中心課題のありどころを極力抹殺し、見えないようにして過されて来た十数年間を思えば、日本のインテリゲンツィアの、今日おかれている苦悩の理由もよく諒解されると思う。日本のインテリゲンツィアは、インテリゲンツィアとして知るべきことを知っていないのである。封建的な諸現象には反対しながら、自分と社会とを封建から根本的に解放するキイ・ポイントがどこにあるかということについては、実に信じられないほど僅かしか知らず、漠然としかしらず、しかもその僅少な理解と漠然たる翹望は、今日、ちっとも民主的でもないし、正直でもない政権の頑迷執拗なねばり存続によって、けがされつつあるのである。
 わたしたちのぐるりの手近い現実のなかに、美しい、模範となる民主主義の見本は見えていない。それがはっきり一般の人々の眼と心に映るまでに、海外との自由なゆききはまだ出来ない条件にある。そのために、インテリゲンツィアの気分の中には、民主主義の課題さえ、そとからあてがわれたように思って、何となし、その手にのるものか、という風な眼つきさえも見える。自分の存在を、自分の発言を社会にのばしてゆく道として、自分自身の運命の展開の方向として、自身の内なるものの発露としての民主的要求が自覚されていないのである。
 そのために、自分の問題としての民主主義がつかめないとともに、日本の民主主義のために自分がどういう存在である
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