、外部からの強制ではなくて、より責任を自覚した男女間の人間性の評価の問題と考えられはじめたのである。
けれども、この考えかたが、現実の社会生活の矛盾や相剋のなかで、どんな破局を経験して来ているかということは、十九世紀以来今日までの文学古典の傑作が扱っているテーマを思い浮べるだけで十分である。ストリンドベリーは、何故あのように女性に対して懐疑的であり、その子の真の父親を知っているのは母親ばかりであるといったのであろう。何故ニーチェは、女性には鞭を忘れるな、と彼らしいいいかたをしたのだろうか。このことは、一見全く反対の作品、例えばモーパッサンの「女の一生」やトルストイの「復活」と切りはなして観察することは出来ない。資本主義の社会そのものが、社会に貧富の差を生み出し、働く人々の階級と働かせて無為に富む階級とをつくり出した。しかもその社会の本質は、自力でその矛盾を解決する力を失っているから恋愛、結婚における貞潔の社会的根拠というものも保証しかねているのである。男と女とのまじりけない人間評価により立つ愛に対して、分担された責任である互の貞操は、先ず恋愛において、あらゆる社会的矛盾によってゆすぶ
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