坪内先生について
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)違ったたち[#「たち」に傍点]の人間であることを、
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坪内先生に、はじめて牛込余丁町のお宅でおめにかかったのは、もう十数年以前、私が十八歳の晩春であったと思う。両親が私の書いたものを坪内先生に見ていただくようにきめて、母が私を連れ余丁町のお家を訪ねたのであった。
私は受け身に、きめられた手筈にしたがって永い道を車にのって行った。
二階のお座敷に、平たくて大きいテーブルがあったように覚えている。床の間には大きい支那の石刷がかかっていたと思う。そこへ、どちらかというと速くて軽い跫音が階子をのぼって来て、並んで坐っている私たち母子の後から坪内先生が現われた。
その頃もう白い髭であられた。兵児帯をゆるく巻きつけ、抑揚にとんだ声で、
「ヤア、これは」
というような言葉をかけられた。
母がどんな挨拶を申したか、私が何と申したのか今全く覚えていない。私は女学生の袴をはいて坐って、おそらくただお辞儀をしただけであったろう。
原稿を翻される手つき、それを伏せて左手をその上においたまま一寸上体をのり出すようにされての物云い、私は祖父というものを知らずに育ったから、坪内先生の白いお髭や物腰やに衰えぬ老人の或る瀟洒たる柔軟性というようなものを感じ大変注意をひかれた。粋なところがおありになった。私は、日本の粋というものを持ち合せないもので、そのことを自身遺憾としていないたちの人間である。先生と自分とが違ったたち[#「たち」に傍点]の人間であることを、私は尊敬のうちに漠然と感じ、それは先生が芝居の神様のような立場に既に久しくおられるからのところもあろうかと、幼稚ながら考えたりした記憶がある。
坪内先生は、私の原稿を細かく読んで下さり、例えばこういう意味の重大な注意を与えて下すった。一旦作品の中に登場した人物がどこかでスーと消えてはいけない。必ず結着ある退場をするように描かれなければならないし、又スーと立ち消えるような重要性のない人物がドタドタ作品の中に出て来ることはよくない、と。
これは、あらゆる時代に小説を書く上での意味ある注意として役立つものであろう。
先生は、その時に、小説に師匠はいらぬ、お前はお前のやりたいようにやって行け、とい
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