葬式をして埋めて仕舞うと云う事は、あんまり手順が早すぎる様な心持がした。
死ぬなんて一体どうなるものかしら妙な事だとより思えなかったのである。
私は母のするなりに黒いリボンをかけられ、あまり笑ったりはしゃいだり仕ない様にと云われるままに慎しんで居る丈だった。
この時分の心持を今私の目前に育って居る丁度同い年位の弟にくらべるとまるで及びも付かない程私の心は単純であった。
彼は第一もう「ああちゃん」などと云う言葉は五つにならない位からやめて居るし、人が死ぬと云う事に対しても、勿論空想化されては居ても非常に或る丁重な感じと悲しみを感じ得る心になって居る。
そして世の中には死ぬと云う事が有るべきものと云う迷わない断定も持って居るので、其の時の私の様に死ぬと云う事が殆ど分らないと云う様な事はないらしい。
それに私の性質上母はその様な特殊な事件はなるたけ知らないですむ様にばかりさせて来たので、生れて始めて私は死ぬと云う事に会わせられたのであった。
私は妙にそわそわして落着けなかった。
にわかに人の出入の多くなった台所へ行って追いやられたり表座敷へ行って叱られたりして居るうちに、門の方にガヤガヤと人声が仕出すと、奥から出て来た母は其処いらをうろうろして居た私に、
[#ここから1字下げ]
「其処へ入っておいで。
見ちゃあいけませんよ、
きっとですよ。
[#ここで字下げ終わり]
と玄関わきの小部屋を指さしたまませわしそうに走って行った。
私は云われる通りその部屋に入って襖を閉めると間もなく何かが玄関の土間に下された様な気合[#「合」に「(ママ)」の注記]がした。
すると、多勢の足音が入り乱れて大変重いものでも運ぶ様な物音が私の居るすぐ前に襖一つ越して響くと、急に私は震える程の恐れにとりつかれた。
[#ここから1字下げ]
「死んだお叔父ちゃんが来たのだ。
[#ここで字下げ終わり]
何とも云えず物凄い感じが私の目の前を飛び違った。両手を握り合わせ瞳を大きくして息をつめて居る間に音はしずまって、母が迎に来てくれた時には家中は啜泣きと悲しい囁きに満たされて居た。
だまって手を引かれて私は屏風の円くなって居る前に座った。
障子を閉め切って澱んだ様な部屋の中に、銀砂子を散らした水色の屏風の裏が大変寒く見える前に私は丁寧に手を突いた。
そして一番偉い方だと思って居る先生にするよりもっとあらたまった静かなお辞儀をした。
手を膝にのせてその水色を見つめて居ると、物恐ろしさは段々消えて、
[#ここから1字下げ]
「ほんとにお叔父ちゃんは死んじゃった。
[#ここで字下げ終わり]
と云う絶望的な、もうどうしても取り返しのつかない心持がはっきりし出して、私は大人の様な静かなそれで居て胸を掻きむしられる様に苦しい涙をこぼしたのであった。
その次の日から朝、お水と塩を枕元の机に供えるのが私の役目になった。
朝になると私は目が醒め次第暗い叔父の枕元に新らしいそれ等の供物を並べた。
生きて居る叔父に食べ物を並べてあげる通りどこかでお礼を云われて居る様な彼の大きな掌が、
[#ここから1字下げ]
「ありがとうよ、
好い子に御なり。
[#ここで字下げ終わり]
と頭を叩いて呉れる様に感じて居た。
そして、常に叔父の云って居た事が間違わなければ、好い事をした人は好い所へ行く筈だから、
[#ここから1字下げ]
お叔父ちゃんも今にどっか好い所へ行くのだろう。
[#ここで字下げ終わり]
と云う想像が非常に私を安心させて居たのである。
納棺の朝頃であったと思う。
どうかして周囲には人が誰も居ないで私丈がいつもの様に火鉢にあたりながら呆んやり座って居ると、後の唐紙をあけて、大変髭の濃い顔の角張った人が入って来た。
私は一寸振返ったけれ共知らない人だったので黙って居ると、屏風の中に入って何かして居た其の人はやがて片身を外へ出して、
[#ここから1字下げ]
「百合ちゃん一寸おいで、
好いものを見せてあげ様。
[#ここで字下げ終わり]
と手招きをした。
私は何の気なしに、
[#ここから1字下げ]
「なあに。
[#ここで字下げ終わり]
と立って行くと屏風の中に入れられた。
其処には厚い布団に寝かされて大変背の高くなった叔父の体が在ったけれ共別に変な感じも持たずにその人の後に居ると、顔の辺りに掛けてある白い布をめくりながら、
[#ここから1字下げ]
御覧。
[#ここで字下げ終わり]
と云って身をねじ向けた。
何だろうと思ってのり出した私は、
[#ここから1字下げ]
アッ、
[#ここで字下げ終わり]
と云うなりつまずきそうになりながら屏風の外へ飛び出すと、激しい怖れでガタガタ震えながら自分で気がボーッとなる程大きな声をあげて泣き出した。
私の声を聞き付けて馳け付けた母に抱かれて泣き止みはしたけれ共その時からどうしても棺の傍へもよれなくなって仕舞った。
何と云う気味の悪い顔色で有ったろう。
絵に見、自分の想像の中のお化けそっくりの細い骨だらけの痩せ切った顔の様子は少し開いた口の形と一緒にいつまでも私の瞼にこびり付いて離れなかった。
私は生れて始めて見た死人の顔にすっかり怯えると同時に、死と云うものに対して極端な恐怖と嫌悪を感じ出した。
此の妙な人の仕た一事によって七つの子の死に対する無邪気さは私の心からあらかた持ち去られて仕舞ったのである。
彼那恐ろしげな顔をした形をした者共が好い事をしたからと云って一所へ集ったって何で奇麗な事が有ろう。
一体何故人は死ななけりゃあならないのか。自分も彼あ云う風にきたなくなって仕舞わなけりゃあならないのか。
死ぬなんて何と云ういやなこわい事だろう。私は自分の死と云う事さえ遙かに想像する程になった。
そして、この時に起ったこの心の激変――子供心の非常に動かされた死に対しての観念は長い間私の心の奥に潜んで居て四五年立ってから不思議な力を以て、更に思いがけない今の私には殆ど夢の様な反対の方向に私を動かして居たのである。
彼の荒武者の様な男の人の様子は種々な意味で私の記憶に明かに残って居る。
何の為に彼那妙な事をする気になったのか。其の人の事を思うと一種異様な感じが私の胸に突き上って来るのである。
斯様にして彼は死にやがて葬むられたのである。
彼を知って居る者は皆彼の不運を歎いたけれ共其の死に様に関して唯一人の疑いを挾む者もなかった。
勿論それまでの成り行きは決してどの様な特別な形式も取られては居なかった。
彼は勧められて病院に入り養生をしたらしくあった。けれ共此頃、彼の心に湧いて居た事々が僅かながら解りかけて来た様な心持で種々考えて見ると、彼の死は非常に平穏な形式に依った一種の自滅ではなかったかと云う事を考えさせられる。
誰も私に云ったのでも注意したのでもない。
けれ共私はそう感じるのである。
彼が死んだ時専ら種々の手当てをして呉れて居た或る医師が、
[#ここから1字下げ]
「何と御止めしても御聞きなさらずに運動をなさったので……
[#ここで字下げ終わり]
と云った事を聞いて居る。
それは勿論医者として親族から受けなければならない不快な感情や責任を軽める逃口上であると云えない事はない。
云った当人は確かにその心持であったのだろう。
けれ共それが私に一つの疑問を持たせる緒口となったのである。
誰でも知って居る通り中耳炎の切開後などは殊に安静を保って居べき必要がある。
それをまだ疵がすっかり癒着もしない内からかなり遠い大学から林町までの徒歩を許すと云う事は考えられない事であり又我々なら許されたとて容易に決行する勇気は持たなかったに違いない。
私共が一旦病気になって生き様と云う願望が激しく燃え上った時ほど医者の奴隷になる事はない。
どれ程丁寧に臆病に寧ろ馬鹿馬鹿しい程の心遣いを以て自分自身を取り扱うか。
私は一昨年の病気以来深くその生き様とする願望の忍耐強さ従順さを感じて居る。
其れ故若し彼が真個の全快を希望したなら恐らく彼はだれでもと同様に子供の様になりながらじいっと一枚一枚繃帯の薄れて行くのを楽しみにして居た事であろう。
子供らしいと云われる事かも知れないが必ず左様あるべきなのである。
其れを苦しい思いをし止められるのを振り切って、毎日何の為に林町まで歩いて来て居、癒りもしないのに病院を出てしまったのか。私は話に聞く彼の気性又は帰朝後一致されなかったすべての周囲の状態を思い浮べると、病院の飯は不美味いと云うのは極く極く表面的な理由であったろうと云う事に思い及ぶのである。
彼は死ぬまで彼自身でありあらせ様とした。此頃は、或点までは彼が随意的の死にを□[#「□」に「(一字不明)」の注記]たのであろうと云う断定に近づいて居る。
私は彼が聞けば笑いそうな想像、あてずっぽうを云って居るかもしれない。
けれ共彼にとってはもう皆な済んでしまった事なのである。
よろこびも悲しみもなく彼の上の土は肥え草は茂って行く。
それ丈は常に間違いのない事である。
底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
1981(昭和56)年12月25日初版
1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
1981(昭和56)年12月25日初版
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年8月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング