ないが――只単純にそれ丈の理由であったろうとは思われない。
 何故なら彼は暗示を受け得る人であったと云う事を父は屡々話す事が有るからである。
 勿論暗示を受けると云う事は宗教家にのみ与えられる特典ではない。
 けれ共彼は当時英国に居た私の父の所へ便りをする毎に、「水に入ると必ず危険が起る」と云う暗示を受けたからと云う注意を忘れなかったそうである。
 父は唯一人の弟の好意を拒む理由も持たなかったし、又「神を試みる」には年を取り過ぎて居たので云う言葉通りに守って居たと云う事がある。
 其れ故彼が自分の死の近いのを感じて生れた国に帰って来たのではなかったかと云う事が思われる。
 兎に角彼が皆の驚きの裡に帰って来て間もない日の事であった。
 其の時分父が洋行して長い留守中だったので、思い掛けず此の叔父の帰宅した事はどの位私にとって嬉しい事で有ったか分らない。
 私は喜びで夢中になった。
 そして、朝から晩まで肩にすがったり、手にブラ下ったりしながら、海のむこーに在ると云うまるでお話の様な国の話に聞きほれて居たので、朝からお昼まで学校のかたい机に向って居るために彼と分れなければならないと云う事は実に此上ない悲しい辛い事であった。
 私は学校へ行かないと駄々をこねた。
 最う知って居る事を習いに学校へ行くよりお叔父ちゃんのお話の方がためになると理屈を並べたけれ共とうとう叔父が学校へ迎に来て呉れると云う約束をして貰って出掛ける事になった。
 私は行く道から帰りの事を考えて居た。
 そしてそれからの三時間がどれ位ノロノロと馬鹿らしく立って行った事か。
 先生のお辞儀が済むと狭い出入口で前の子を押しつける様にして馳け出して見ると、いつも女中の立って居る所に今日は約束通り叔父が笑いながら待って居てくれた。
 私は笑み崩れながら跳び付いた。
 そうすると叔父は私の頭を押し叩いてくれた。私の満足は頂上に達して踊る様に歩き出そうとすると、今までの様子を傍に立って珍らしそうに見て居た私よりズーット大きい男の子はいきなり賤しいかすれ声を立てて、
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「ヤーイ、ヤーイ、チャンコロヤイ
 男の癖に髪を長くして居やがらあ。
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と云うと赤んべーをしてどしどし逃げ出した。
 私は非常に驚いた。
 そして間誤付きながら叔父の顔を見ると、子供ながら動かされた程だまって逃げて行く子供の方を見守って居る彼の顔は悲しそうに又厳かであった。
 私は心配であった。
 けれ共今まで気が付かずに居た叔父の髪の長い事を知ると非常に好奇心を動かされて、高い処にある彼の頭を眺めた。
 其処には実に奇麗な――ああちゃんのと同んなじ様だと思った程の光った髪の房が肩の上まで下って居た。
 私が目を大きくした位それは立派だった。
 素直で厚くて重そうでお飾りの様であった。
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「何て好んだろう。
 まあほんとに奇麗にそろって光って居るんだろう。
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 左様思うと私には、男の子が罵った理由がまるで分らなくなった。
 何故男の人は髪を長くしては可笑しいのか。どうしてチャンコロになるのか。
 私は自分の大切な者を悪く云われた口惜しさが胸一杯になった。
 けれ共彼はだまって私の手を引いて歩き出した。
 私はどうかして泣くまいとして口を引き歪めたり、しかめ顔をして堪え様とした。
 私の周囲には泣き顔を見られたくない沢山のお友達が居たからである。
 が、とうとう堪えられなくなって一粒涙がこぼれ出すともう遠慮も何もなくなって私は手放しの啜り泣きを始めた。
 手を握って居ながら叔父はまるで別な事を考えて居るらしかった。
 彼は一層陰気な顔になってうつむきながら私を慰め様ともすかそうともしずに歩いた。
 泣きじゃくる私と、考え沈む彼とはお寺の多い通りを多勢の子供達の驚きの的となりながらのろのろ、のろのろと、動いて行ったのである。
 泣きながら私はぼんやりと大変お天気の温かな事を感じて居た。

 外には雨が降って居た。
 そして昼であった。
 只それ丈が分って居る丈でどうした訳でその様な時に叔父が床に就いて居たのかまるで分らないが、私はその傍にゴロンところがって足をバタバタ動かしながら種々な事を話して居た。
 ――大変にその室が暗かったから多分雨でも降って居たのだろう。
 私は種々喋った末何の気なしに甘えた口調で友達の一人が自分を酷めて困る事を告げ、或る慰めと同意をかすかに期待しながら、
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「ほんとうにいやな人なのよ、
 私憎らしくって仕様がないわ。
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と云うと、思いがけず私の延して居た腕に飛び上る程の痛みを感じた。
 ハット思った心が鎮まると漸う私は彼に抓られたのだと云う事が分った。

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