や責任を軽める逃口上であると云えない事はない。
 云った当人は確かにその心持であったのだろう。
 けれ共それが私に一つの疑問を持たせる緒口となったのである。
 誰でも知って居る通り中耳炎の切開後などは殊に安静を保って居べき必要がある。
 それをまだ疵がすっかり癒着もしない内からかなり遠い大学から林町までの徒歩を許すと云う事は考えられない事であり又我々なら許されたとて容易に決行する勇気は持たなかったに違いない。
 私共が一旦病気になって生き様と云う願望が激しく燃え上った時ほど医者の奴隷になる事はない。
 どれ程丁寧に臆病に寧ろ馬鹿馬鹿しい程の心遣いを以て自分自身を取り扱うか。
 私は一昨年の病気以来深くその生き様とする願望の忍耐強さ従順さを感じて居る。
 其れ故若し彼が真個の全快を希望したなら恐らく彼はだれでもと同様に子供の様になりながらじいっと一枚一枚繃帯の薄れて行くのを楽しみにして居た事であろう。
 子供らしいと云われる事かも知れないが必ず左様あるべきなのである。
 其れを苦しい思いをし止められるのを振り切って、毎日何の為に林町まで歩いて来て居、癒りもしないのに病院を出てしまったのか。私は話に聞く彼の気性又は帰朝後一致されなかったすべての周囲の状態を思い浮べると、病院の飯は不美味いと云うのは極く極く表面的な理由であったろうと云う事に思い及ぶのである。
 彼は死ぬまで彼自身でありあらせ様とした。此頃は、或点までは彼が随意的の死にを□[#「□」に「(一字不明)」の注記]たのであろうと云う断定に近づいて居る。
 私は彼が聞けば笑いそうな想像、あてずっぽうを云って居るかもしれない。
 けれ共彼にとってはもう皆な済んでしまった事なのである。
 よろこびも悲しみもなく彼の上の土は肥え草は茂って行く。
 それ丈は常に間違いのない事である。



底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
   1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年8月4日作成
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