衆を前にして居ると同様に、手を動かし眉をあげて、いよいよ声高に云うのを見て居ると、私は何よりも先ず激しい恐怖に捕われて仕舞った。
生れて始めて斯う云う処に来た事丈でさえ異った気持にされて居たのに、叔父の様子と声は七つの子供に対しては余り厳格であり解し得ないものであったので、今にも先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ逃げ出したい気持になって居た。
けれ共逃げ様にも行く道は分らなかった。
私は途方にくれて、きっと気が急に違ったに相違ない叔父の素振りをおずおずながめて居たが到頭堪え切れなくなって、
[#ここから1字下げ]
「帰りましょうよ、
ね叔父ちゃん、
帰りましょうってば。
[#ここで字下げ終わり]
とせがみ出した。
必死の力を出して骨の出た彼の肩をゆすったり、手を引っぱったりして、漸々彼を立ち上らせたのは、余程立ってからの事であった。そして行きより非常に長くかかって家に帰り着いた。此の忘られない事のあった※[#「涯のつくり」、第3水準1−14−82]は何処の所か私には長い事分らないで居たので、或時は其等の事は皆自分の空想なのでは有るまいかと云う気持にさえ成った事があるが、いつだったか目黒へ行く時田端へ出る近路だと連れて行かれた処は、丁度私の記憶の中の彼の野原であった。
此の時私は訳もない安心で何となし心が軽々となった。
其処は、佐竹さんの所有地で道灌山のすぐ傍にあたる所であったのだ。
それから後屡々私は弟達と遊びに行った。林の奥では彼の時の様に小鳥が囀り日は同じ様に黄金色に光って居る。
筑波山の天狗は何時まで生きて居るだろう。
私と叔父が一緒に出たのは之が最後であった。
大変に悪くなったのは、十一月の二十五日の晩であったと覚えて居る。
大病人を抱えた家の中は皆足音を忍ばせながらも走って歩くほど混雑して居たので、只邪魔になるほか能のなかった小さい私は、弟共と一緒に一番奥の間に宵の口から寝かされた。
不安だと云うのでもなく、可哀そうだと云うのでもなく、家中のどよめきに連れて只ソワソワして居た私は、深く夜着の中にもぐって居ながら、遠くの足音にも耳をすませたり、一寸人が近くまで来ると、咳払いをしたりわざと欠伸《あくび》をしたりして専ら気の毒な自分が寝もやらずに居る事を知って貰おうとしたけれ共、誰一人障子に手を掛けて見様とする者さえなくって、自分
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