例えばこの間のような時、×社で仕事を見つけて下さるようには出来ないの?」
「人があまっているから仕事はない、けれども生活費なら暫く出してやってよいと仰云るのですけれど――それに×氏は初めそんなに云って下すったきり、ちっとも後はおかまいにならないのです。御自分が文壇に出るに苦労なすったから却って」
他に感情の衝突らしいものもある話であった。
「一人の人間の心をそんなに傷めるのは、何と云っても先生の不徳だと思います」
或る時、はる子はそのような話の後千鶴子に云った。
「あなた本当にいい仕事をしたいとお思いんなるなら一つ暮し方を更える必要があるわね。自分がこうと思い込んだ先輩一人をきめて、その人に対しては自分の真実をつくして対して行くか、さもなければ、一人っきりになってぐんぐん自分の内に入って行くか――。ただ方便のように偉い人々のところを廻っていたって自分が立派にはならないと思います」
はる子は、千鶴子が、過度に自分の言葉に重み、完成さというようなものをつけ対手に印象を強いるような癖があるのなどもそんな故と思わぬではなかった。当然及ばぬものに向って背伸びするからと思うのであった。その日は、はる子が一緒に暮している圭子もそこにいた。千鶴子は、唇に一種の表情を浮べながら聞いていたが、
「私もそう思います」
と真直に受けた。
「あなたにお会いしてから、私少し自信がもてて来たのです。普通の人間、自分と同じような女の人がそうやって仕事をしているなら、自分だって出来るという心持がして来たのです」
「それは結構だわ――何か掴えたら放しちゃ駄目ね、本当に」
千鶴子は、そうでない証拠を示すように、
「この頃書いていますよ」
と云った。
多くの男の作家志望者の中に間々《まま》あるように出世の近路をあがき求めて千鶴子が×さんや×氏に出入りした。それは明らかであったが、彼女が内心に強い芸術上の競争心を含んでいるらしいのがはる子の興味を牽《ひ》きつけた。千鶴子の書いたもので読んだのは、彼女の小遣い取りの為、或る小さい刊行物へ圭子を通して載せて貰った漢文から種をとった短い教訓話だけであった。どこかひろがりと土台のある調子を感じた。はる子に対しても仕事の内容などについては口を緘していたのが愉快であった。彼女からは何が生れるか? よく実った稲ほど穂を垂れる。然し最もよく実る稲は若い時最も真直
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