たれなかった。後に迫って山を負っているため、陰湿だ。それに昔の支那――明人の建築には思いがけず木材など細いのが使用されてい、こせつき、複雑で、悠暢としたところがない。建物と建物とをつなぐ甃の柱廊は、美観の上で実に重大な役目を持つものと思う。崇福寺の建物は、狭いところに建てられている故か、大切な柱廊が、その通景に余韻を生ぜしむるだけ堂々と伸びやかに横わっていない。浅く、ただ礼拝する寺で、精神の活躍する場所として必要な底強いゆとりが建築上欠けているという印象である。木材が一面朱塗だということもその感じには関係があるらしい。
住職がばたばた扉を閉めて行った本堂前の、落葉のある甃を歩き廻りながら、私共は、懐しく京都の黄檗山万福寺の境内を思い出した。去年、始めて私は観たのだが、彼処はよかった。全くよかった。ちょうど今より数日遅いやはり晩春であったが、山門の左右の聯の懸った窟門から、前庭の松花を眺めた気持。多分天王殿の左翼からであったろう。竹林の蔭をゆるやかな傾斜で蜒々と荒れるに任されていた甃廻廊の閑寂な印象。境内一帯に、簡素な雄勁な、同時に気品ある明るさというようなものが充満していた。建物と建
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